このたび、盲人と点字についての論文を発表しました。文献情報は以下のようになります。

木下知威「点字以前 — 18-19 世紀の日本における盲人の身体と文字表記技術の交差」『一滴』津山洋学資料館、26、2019年、1-112頁。

こちらより試し読みができます。

津山洋学資料館は津山市にありますが、近世は津山藩がありました。箕作家や宇田川家といった洋学の名門が属しており、洋学を語るにあたって欠かせない場所です。わたしは2017年に「指文字の浸透」という論文を書きましたが、そのときに津山の蘭癖大名であった松平確堂についてリサーチしなければならず、その調査で大変お世話になった経緯で論文の依頼を頂戴しましたが、こうして恩返しできたことを嬉しく思っています。

【ご注文方法について】
この論文が収録されている雑誌『一滴』26号は、津山洋学資料館よりご注文いただけます。お値段は500円。送料は別途で1冊300円、2冊で350円とのことです。

送付を希望される場合は、資料代と送料を、下記住所へ現金書留もしくは郵便為替でお送りください。
送料分は切手で同封いただいてかまいません。

送付先 〒708-0833 岡山県津山市西新町5 津山洋学資料館
電話:0868-23-3324 FAX:0868-23-9864

また、津山洋学資料館と協議の結果、視覚障害などの理由で書字へのアクセスができない方に限って、本論「点字以前」のテキストデータと正誤表のセットを500円で販売することになりました。データはtxt形式で、図版は付属しません。テキストデータの複製は点訳・音訳データなど視覚障害をもつ方のアクセシビリティのための利用に限って認めます。なお内容の改変、流用、転載、他人への譲渡、営利目的での使用を禁じます。
ご注文される方はこちらのフォームよりお名前、メールアドレス、希望する個数を記載して送信してください。お支払い方法は銀行振込となります。振込の確認後、2019年4月下旬から添付メールによるお渡しを予定しております。CDに書き込んでの郵送を希望される場合はその旨とご住所をメッセージ欄に書き込んでください(切手代をご負担いただきます)。

【論文の概要】
さて、この論文について少し紹介いたします。細かな目次は以下(目次は雑誌には掲載されていません)。

1、目的と方法・・・1
1-1 目的・・・1
1-2 方法・・・4
2、蘭学者における身体障害者の認識・・・5
2-1 良沢・玄白・清庵・玄沢・・・5
2-2 司馬江漢・・・10
2-3 Nederlandsch Magazijnと古賀謹堂『度日閑言』・・・19
2-4 近世末期における盲人による文字の筆記方法の検討・・・25
3、明治初期における洋学と点字・凸字・・・33
3-1 明治初期の洋学と展覧会・・・33
3-2 楽善会と凸字聖書・・・51
3-3 ディヴィッド・マレーと手島精一・・・65
4、結論・・・86
註・・・93

近世・近代の日本において、盲人が「文字を読み書きする技術」を持つことについて点字・凸字の面から論じたものです。ここでいう「点字」とはルイ・ブライユによる六点点字のことをさしますが、近代の文字表記技術はブライユだけでなく、ムーン・タイプやニューヨーク・タイプなどが乱立している状況にありました。興味深いのはこれらの文字表記技術が明治初期の国内外の博覧会やキリスト教布教を目指して来日する宣教師を介して日本に流布する機会があったという点です。

2「蘭学者における身体障害者の認識」では蘭学の第一世代、彼らに近い世代は盲人に対して漢籍や仏教的な説話からの知識を基盤に盲人に対するイメージを有していることを分析しました。それはいうならば座頭の姿をし、芸能に関わるといった近世的な盲人のステレオタイプです。ここで変化が起き始めるのは古賀謹堂だと考えられます。謹堂は蕃書調所を通じて、オランダから輸入したオランダ雑誌の内容からヨーロッパの盲人の状況に注目していた痕跡が認められます。この時期の日本はまだ点字と凸字が来日していない時ですが、このときの盲人の文字表記技術を葛原勾当と西島宗丹のケースから分析しています。二人を分析の対象としたのは文字表記技術の現物が残っているという史料的制約と、その表記技術のありようが全く異なるという点によります。

3「明治初期における洋学と点字・凸字」では、国内外の博覧会を通じて点字・凸字が日本人の衆目に触れやすい環境が生まれたことに着目しています。とりわけ、沼津藩(菊間藩)の重臣であった五十川中と、文部省の重職にあった辻新次が初期の博覧会である「文部省博覧会」で盲人関連のものを出品していることが注目されます。五十川は従来の教育にとらわれない新規の教育への関心があり、辻は弟・鐘雄が盲人であったことが出品につながった要因であったと思われます。つまり、盲人の文字表記技術は洋学の知識と不可分なのです。また、明治初期は高札の撤去によってキリスト教布教が公に可能となりましたが、それはまた凸字が流入する契機となりました。それは、パーキンス盲学校のサミュエル・ハウの関与によってアメリカ聖書協会(American Bible Society)ですでに凸字聖書の製造が行われていたことや来日宣教師がそれを求めたことによります。その他、ディヴィッド・マレーと手島精一の動向を通じて、盲教育のための教材や工芸作品が来日していたことを明らかにしました。
ところで、それはいつ日本にやってきたのか、これまでの研究でははっきりわかっていませんでした。そこで本論ではニューヨーク・ポイント(八点で構成される点字)は1872-1877年のあいだ、ブライユの六点点字は1879年に来ているものを紹介しています。また、点字がなぜ「点字」と呼ばれるようになったのか、その経緯もはっきりわかっていませんが、本論では点字の呼び方が多様であったこと、教育博物館に勤めていた洋学者たちによって「点字」の語句が検討されたことを論じています。興味深いのは、必ずしもブライユが「点字」と訳されたわけではなく、「点凸字」「凸起文字」と呼ばれたケースがあったことから現代でいう点字が凸字として呼ばれていたケースもあったことです。

昨今は吉開菜央、山内祥太をはじめとするヴァーチャル・リアリティをベースにする作品の制作があり、また全盲の加藤秀幸による映画《ナイトクルーシング》(2019)が制作されたように、現代の日本における映像技術と盲人と視覚・触覚のあり方においてひとつの波が来ているように思われます。このなかで本論文は点字を通じて日本における盲人や触覚の認識の変容を明らかにしたものであるといえるでしょう。

【正誤表】
最後に、たいへん恐縮ながら誤記があり、正誤表を作成しています。PDFとして配布していますのでこちらからダウンロードしてください。

1 のコメント

  1. ピンバック: 古賀謹堂旧蔵の『全体新論』について | tomotake kinoshita

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