DIC川村記念美術館にて
 
身体感覚に残っている今のうちにシンポジウムについてまとめておく。
第1部 牧原さん:『ヴァンサンへの手紙』は3つの視点がある。ろう教育、政治、ろう者の芸術表現。今回はろう教育に着目して企画されたとのこと。松岡先生より話があったとのこと。『ヴァンサンへの手紙』の上映は来週から。今回はダイジェストのみ上映。全編を通してみているのだけど、口話教育を受けた初老の男性2人の会話と、ろう者のご夫婦がお子さんをトゥルーズのバイリンガルの学校に入学させるところが選ばれていた。口話・手話教育の方法におけるフランスの現状がよく伝わるシーン。
 
第2部:ろう学校高等部と地域の高校に通学している渡邊さんと大竹さんが登壇。どちらも現在高校生で大竹さんは明晴学園の卒業生で、地域の高校に進学。渡邉さんは現在にいたるまで公立ろう学校に在学されている。お二人は高校で進路を別つことになったが、その判断根拠は聴者の世界に飛び込むタイミングの違いにある。大竹さんは明晴を卒業して飛び込むことを決意し、渡邉さんはまだ早いと判断したというように読み取った。どちらが正解ということではなく、それ以上にお二人が明確なロジックで進路を判断し、言語化されているところがすばらしかった。
この進路に関するおふたりの話をみていて、「公共」という言葉を思い浮かべた。アーレントが言ったようにそれは見えるもの、聞こえるものであるとするなら、そこに表象された世界を明確に言語化することができ(それも日本手話で!)、かつそれを向けられる他者の存在が不可欠だ。その他者とは誰なのか。家族、友人なのだろうか。そういう「公共」のこと。これは後述する「声」の問題ともリンクする。
他にもいろんな話が印象に残ったが、例えば・・・。
 
大竹さんの話では「ろう文化があるということは最初から言わない(…)ろう者とは耳が聞こえないという状態を指すのではなく、文化などその上に成り立っているもの」という考えを示されていたが、この発言は歴史的に俯瞰するととても興味深い。まず、「ろう」という言葉はろう者が作った言葉ではない。近代の教育・政治において、「ろう」は会話をすることができない人を指さすために定められている固有名詞であって、その人 — 声なき身体が宣言した言葉ではない。それが今や、「ろう」のものになっている。大竹さんのアイデンティティーは「ろう」が基盤に据えられているのであって、それは揺るがないものになっている。もちろん、近代において「ろう」と「あ(唖)」の区別がなされていることは注意すべきところだが、それを差し引いても、ろう者自らが「ろう」を名乗るまでの過程が彼女の身体に集約され、体現されているところは非常に重要である。きっと、大竹さんはゴッフマンのいうスティグマに深く思いを巡らせる時が来るだろう。
渡邉さんの話では「人工内耳があることで話すことができると思われてしまう」と発言されたところは重要なところ。簡単なところでついしゃべってしまい、通じないことが生じるとも。これは棚田先生も同じことをおっしゃっていたが、後述するが「声の力」はろう者をときおり、たじろがせるものがある。このことは明確に主張すべきところだと考える。
ところで、第2部においてお二人の発言のたびに彼女たちと親しい人たちが強くうなずいたりされているが、心から応援しているという気持ちがこちらにも伝わってきており、彼女たちのコミュニティのパワーを感じる。これは稀有なシーンではないだろうか。
 
第3部:棚田茂先生と森田明先生がご登壇された。棚田先生は公立ろう学校「埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園」、森田先生はバイリンガルを行っているろう学校「明晴学園」に勤務されている。まず、ろう学校におけるろう者の教員は400名を超えたそう。東京、大阪、神奈川、埼玉に特に多いとのこと。もともと、ろうあ運動が盛んだった地域であることが理由だという。
棚田先生の話は教育の現実から。新しい学習指導要領は「学び合い、高め合い」の主題があり、ろう学校はどのように教育するべきか考える時期であるという指摘。かつ、転勤が多いことの専門性の習得が未熟であるという指摘もよくきくところ。また、ろう学校は生徒が少ない。これは地域の学校に行ってしまうことが要因としてあり、これを生徒が集まってコミュニティを形成していくことがひとつの課題としてあることもお話しされた。ところで盲学校も生徒数がとても少ないが、同じような考え方はあるだろうか。
森田先生は、教育するときにその内容以上にろう者のモデルを自ら示すということが重要であると指摘された。かつ、ろう学校における「手話」は言語としてのそれではなく、コミュニケーション方法として認めているという面があり、学会などにおいて言語としての手話に基づく教育手法およびデータが少ないという課題があるという。
 
最後に、わたしが一番びびっときたのは渡邉さんと棚田先生の言われた「声」について。もっというなら「声の力」。口話教育を受けたろう者が聴者に対して声を出せば、声で返ってくる。手話では返ってこない。よって、だんだんコミュニケーションについて苦しくなるといわれていた。最初から筆談だけでお願いするなど、声についてコントロールを意識することが重要だという。それは経験をしたろう者でなければ話せることではなく、聴者の教諭が理解しているかどうかという指摘もあった。それは、声を持つものがヘゲモニーを掌握してしまうことに対する、マイノリティとしてのろう者の戦い方なのではないか。つまり、その声が明瞭であるかどうかがコミュニケーションの精度を決定するのであれば、言うまでもなくその話される言葉のトーンは重要であって、こうした身体に起因する厳然とした格差というものに対する恐れに似たものが、彼らの外の世界に渦巻いている様相があるのではないだろうか。
 
質疑。松岡先生より「質問がある人はこちらに座ってほしい」と座席を指定された。これは挙手されるより良い方法だった。
わたしは歴史教育の方法について質問をした。要約すれば、「子供が少ない現状で、縦の関係が弱い場合、学校における歴史教育をどのように考えているか。」というもの。この質問の背景として、マイノリティーにおける戦略として、歴史の引き継ぎというのがあるからだ。
棚田先生の場合、中1から高3まで教えるという。給食の時間や学習のさいに教えているとのことだが、教員の力量の左右される面が大きい。
森田先生は明晴学園の手話科において、中1で日本のろう教育史・ろう者の歴史、中2で世界のろう者とろう教育の歴史、中3でまとめを行っているという。だが、教材の整理や先生が教えるまでのプロセスで悩ましい問題も多くあり、そこでわたしが果たすべき仕事もある。
いいシンポジウムというのは、「個人として課題を発見できる」という意味で使っているが、今回はそれに該当する内容であった。
主催者の皆さん、お疲れさまでした。

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