長崎、晧台寺上の幣振坂にて

 

日中の歴史に関する研究で知られた大庭脩の主著として『江戸時代における唐船持渡書の研究』( 關西大學東西學術研究所, 1967年)があることはいうまでもないでしょう。

これは研究編と資料編に分かれているのですが、このうち、研究編が改訂されたものが『江戸時代における中国文化受容の研究』 (同朋舎出版, 1984年)であることを読んでいて気付きました。章立てが変更されているほど多くの手が加えられていて、さらに補論もあります。だけれども、大庭は2つの図版を省いています。正確には地図で、こちらになります。

 

版権の関係で省かれたのでしょうか、右は唐船が描かれていることに着目した地図(本文では唐船の構造について分析しています)、左の地図は長崎市街の地図ですが、注目すべきは大庭が唐船からの荷物がどのように長崎市内を移動し、書物の中身がどこで検められるのかというプロセスを示していることです。

こうしてみると、川を遡上して聖堂に入ったのち、検められた書物は陸路を通じて代官屋敷に運ばれるということでしょうか。史料で理解していてもこのようにマッピングされると身体にしっくりくるように思えます。

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