文部省『わが国の特殊教育』(1961)を読みました。

これは販売していた書籍ではなく、世間一般に広報するための資料のようです。奥付に値段も書かれていないので、頒布していたのでしょうか。図書館で借りましたが、かなりクタクタになっており、紙の劣化が激しいです。

著者は書かれていませんが、「はしがき」を読むと、辻村泰男(当時・特殊教育主任官)が執筆したといいます。わたしがなぜ、この本を手にとったかというと、刊行された昭和36年において、特殊教育の概念を専門家が理解し、どのように流布しようとしていたのかをつかむことにありました。この本は盲・聾、肢体不自由、精神薄弱など多岐にわたる身体障害教育について述べていますが、とくに、盲唖学校と盲学校・聾学校について簡単にまとめておきます。

辻村は、学校制度について述べ、盲・聾教育の方法について解説をしています。昭和22年に学校教育法が立法され、盲学校、聾学校という呼称が使われていることについて周知されていないと書いています。

世間には、盲啞学校とか、聾啞学校とかいうことばがまだ残っていて、盲学校と聾学校とが二つの全然別の学校であること、また、法律上は、聾啞学校と言わずに、聾学校と言うのが正しいのだということが、じゅうぶん周知されていない・・・(7頁)

背景の解説が必要でしょう。「唖」は聾という聴覚障害によって生じる発音の問題をさしていいます。それが口話法によって教育を行うことが可能になったために、啞という言葉を外したということがあります。これは、19世紀においてアメリカが採った方法と同様です。興味深いのは、昭和22年の学校教育法によって盲学校と聾学校が定められているにも関わらず、一般のあいだには聾唖という言い方があるということです。これは今でも変わりませんが、一方で「特別支援学校」という言葉が広まりつつあるのが現状です。

さて、辻村はこの学校教育法に先行するのが大正12年の「盲学校及聾啞学校令」であるといいます。すなわち、学校教育法における盲学校と聾学校が義務制になったのは、「以前の勅令の規定をそのまま引き継いだにすぎない」と指摘します(ここで問題になるのが養護学校の存在ですが、ここでは割愛します)。

次に、辻村はこのような制度的考察から、盲教育・聾教育について考えていきます。盲教育について凸字や点字による教育法について概観していきます。一言で要約するなら「何を教えるかではなく、いかにして教えるか」ということになります。聾教育について、口話法の歴史について述べたあと、こう言います。

聾啞者の使う身振り語は、われわれの日常用いている音声言語に比べれば、語いもきわめて乏しく、かつその意味内容が多義的であり、明確さを欠いています。こういう点から、聾者の思考を高め、思想をゆたかにしてゆくためには、どうしても音声言語の習得が必要だ、という考えが、口話法の主張の大きな支柱になっています。

(・・・)

しかし、これだけでは、たとえば、タマゴとタバコの区別を口型の変化だけで弁別することは困難で、そのためには、全体の文脈の理解ということを補いとして判断が行われるようになることが必要です。(54頁)

口型の変化だけでは限界があることは、現在もそうですが、全体の文脈の理解というのがやっかいな問題です(そう、あの作品です・・・)。このような聾、高度難聴の児童が聾学校に就学している割合は、68.5%で、盲および強度の弱視児童・生徒の盲学校の就学率は40%であると指摘し、一般の小・中学校では99.1%と比して大きな差があるとします。全員が完全に就学していているわけではないということになります。

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