高田英一『手話からみた言語の起源』を読みました。じつは、この本については、賛否両論があります。その内容について、ここですべてとりあげることはいたしません。

そのなかで、わたしの立場からどうしても指摘しなければならないことがあります。それは、高田さんは古河太四郎と手話について、事実誤認をされておられるということです。古河と手話について考えるとき、欠かせない史料がいくつかありますが、同書に限って言うと、2つ挙げられます。

A:渡邊平之甫編『古川氏盲唖教育法』(大正2年)
B:古河太四郎『京都府下大黒町待賢小学校瘖啞生教授手順概略』(明治11年)

補足説明すると、Bは古河が聾教育の手法を呈示したもので、聾教育史においてきわめて重要な文献です。これはAにも収録されています。

高田さんはイラストがあることによって、手話を把握することができると考えています。そこで、Aを取り上げ、これを「明治11年のことでした」と書いています(22頁)。しかし、Aは大正2年に出たもので、古河はすでに亡くなっています。明治11年に出たのは、Bです。だから、「明治11年のことでした」とするべきなのはBのほうなのです。

そして、図9には「初期のイラスト」としてA『古川氏盲唖教育法』の114頁を引用しています。この図ですね。

 

しかし、この図はBには掲載されていないのです。具体的にいうなら、上の図の左下にあるのは「魚」の表現ですが、Bには文章のみで3種類示されています。ですから、この図は明治11年のものだということはできません。

また、100頁の注7をよむと、高田さんは、A『古川氏盲唖教育法』を「古河が作成した教科書」と書いていますが、それはBとするべきではないでしょうか。Aは、古河が作成したのを渡邊が手を加えたと考えたほうがいいのではないでしょうか。(また、渡邊平之甫が古河のあとを継いだ、ともありますが、これは何を意味するのでしょうか。)

まとめると、高田さんは、Aの渡邊平之甫編『古川氏盲唖教育法』(大正2年)とBの古河太四郎『京都府下大黒町待賢小学校瘖啞生教授手順概略』(明治11年)を厳密に区別していないために、事実と相違することが示されたと思います。

以上、指摘になります。

10 のコメント

  1. ご質問ありがとうございます。一般的な団体における名誉会員は、会員になって○年などと長らく会員でいることや顕著な業績があることが条件かと思いますが、これは団体によって違いますので、WFDに直接お尋ねされたほうがよろしいかと思います。

    sourd

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