深川勝三「たき火」あるいは、リアリティとファンタスティックのデフラグメンテーション

渋谷のユーロシアターにて開催された、東京ろう映画祭で「たき火」(1972年)を見る。

一言でいうと、たき火によって人が出会い、別れる。主人公が惚れた女性と再会して結婚するというハッピーエンドになっていて、聾者の安らぎのような映画ではないかと思う。イメージとしては、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のような、平和の光に満ちたものだった。
今日はそのことを書こう。

「たき火」は、深川勝三(1924-1985)ら睦聾唖映画演劇研究会の有志によって1963年に制作がスタートし、1972年に撮影が終わったということだが、編集の完成までには至らなかった。

この背景には聾唖者の教育や社会をめぐる問題がある。主人公・北島一男(高橋重晴)の母親が手話に反対して口話を優先していること、北島が惚れた女性(彼女も聾者)は、母から聾者同士の結婚を反対されていることという要素だ。このことを背景にあることをうかがわせることによって、映画と社会の間にリアリティが生じている。わたしは最初に「平和の光」と書いたけれども、その背景には彼ら聾唖者たちの苦悩があったことも考えるべきだろう。
だけど、そのリアリティを背景に背負いつつも、映像はまったく重苦しくない。それは2つの要素が大きい。まず、随所に甘美なファンタスティックを入れていることと、高橋をはじめとする喜怒哀楽の切り替えが明瞭な演技によってである。甘美なファンタスティックというのは、北海道から東京に出るときにバッグを腰にスキーをするところや、深川監督自身が着物の裾を持ち上げて走っていくところ、川沿いに小屋を建てるところなどであろうか。高橋の演技は笑顔になったかと思えば、ムッとした顔を見せる。宮沢賢治の「アメニモマケズ」のキャラクターのような佇まい。

反面、個人的にもっとも際どく感じられたのは、運動会のシーンである。川沿いの家に住んでいる北島に懐いている女の子のために参加するのだが、途中で仮装行列が開催され、睦聾唖映画演劇研究会のメンバーが歩いている。これは実際にやったのではないかと思うのだが、日常と映像の物語が混在している。リアリティとファンタスティックの境目にあるのがこのシーンだったと思う。

わたしは以前、横浜で「三浦翁半生記」を見たことがあった。この映画で三浦役として主演をされた方が北島の弟として登場しているが、「三浦翁半生記」からの時間のつながりがあって「やあ、しばらく」という感覚に近い。「たき火」は聾唖者たちのホームムービーのような要素がある。登場人物、とりわけ北島に懐いている幼稚園の女の子がいるのだけど背が高くなっているのを認めたときにそう思えるし、そう思えたのは、この東京ろう映画祭自体がろう者の集まりでもあって、久しぶりにお会いした方もいたからかもしれない。

パンフレットによれば、筑波大学附属聾学校でフィルムが発見されたが、断片になっていたために再編集を行ったとのこと。
もしかすると、断片になっていたというのはかえって幸福なことだったのかもしれない。なぜなら、深川によって達成されなかった編集という断片化されたフィルムを検討しながらつなぎ合わせるというデフラグメンテーションを施すこと自体、ストーリーの繋がらなさを本質的に強調しているのにすぎないのであって、より映画らしくなっているのではないか。

多くの文化がすれ違う渋谷のスクランブルにこの映画祭が行われたことは感慨深いことだ。牧原さん、諸星さんをはじめとするスタッフの企画と熱意による達成であって、彼女たちに敬意を表したい。
ユーロスペースを出て恵比寿の井上孝治展を見るために渋谷の雑踏に紛れていくとき、「たき火」を生きた聾唖者とスクリーンで過ごした時間が結晶化し、わたしが生まれなかった時代の聾唖者と共にあったという思い出になっていく。良い時間、良い映画とはそういうものだ。

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