千駄谷のうねった道をとおりすぎて、森鷗外記念館に寄る。賀古鶴所の展覧会をみるためだ。わたしが賀古のことを知ったのは、平川祐弘『和魂洋才の系譜』によってである。ここでは森鷗外の親友として登場する。森と賀古の友情は森が亡くなるまで続き、すでに書く力を失っていた森の遺言を口述筆記したのが賀古である。これは近代文学においてよくしられていることであって、賀古の名前が森の人生のラストにいる。このエピソードは、世間の賀古に対するまなざしそのものと言って差し支えあるまい。

でも、わたしは少し違う視点を賀古に注いでいる。賀古は耳鼻咽喉科の医者で、聾唖教育上では注目されていない。むしろ、久保猪之吉の方が知られているだろう。しかし、賀古の業績を見るとこの人物を無視すべきではないとおもえる。『耳科新書』において、耳鼻咽喉科における聾唖についてまとめているから賀古を無視すべきではない、ということではない。明治初期から貢進生として蘭学を学び、大学東校で医学を学んだ人物が耳鼻咽喉科の専門家として近代日本における聾唖の概念について述べるという、時代と生の系譜を考えるときにはずせないということだ。
その賀古の全体が分かる展示がされていたということだ。テーマ的には当然、森鷗外との交流が中心であったが、生涯にわたる交流で賀古の人生がみえるまたとない機会であった。1月29日まで。

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