東京盲唖学校(楽善会訓盲院)という、東京ではじめての盲唖学校がありますが、明治後期に東京盲学校と聾学校に分離しています。そのうち、東京盲学校は筑波大学附属視覚特別支援学校となりましたが、初代校長を町田則文(1856-1929)といいます。町田は、東京の盲教育だけでなく、近代日本の教育史上、重要な人物であることが既往研究で明らかにされています(例:『町田則文伝』(1934年))。

その町田の墓が無縁墓となっていることを知り、訪問しました。お墓の場所は、雑司ヶ谷霊園の1種4A号1〜31番を入ったところにあります。

町田則文一家の墓所の入口(雑司ヶ谷霊園)
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墓所の前に立札があります。縁故者と連絡がつかなくなっているようで、平成26年の3月16日までに届出がなければ、無縁墓として改葬すると書かれています。

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お知らせの立札(クリックで拡大)

町田則文のご遺族についてご存知のかたは、ぜひお知らせいただけましたらと思います。

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