「日本の工学の父 山尾庸三」(萩博物館)

萩博物館にて

2017年9月15日(金)、山口県萩市の萩博物館の企画展「日本の工学の父 山尾庸三  ―仮令当時為スノ工業無クモ人ヲ作レバ其人工業ヲ見出スベシ―」のオープニングに出席した。

この展覧会は、山尾家から寄贈された史料にもとづいて構成されている。寄贈史料のなかでは写真がとくに多く、展示も山尾家、政府、長州藩のひとびとからの写真が豊富に紹介されているのが特色。そうでありながら、木戸孝允からの手紙、招待状、弔辞などバランスよく展示されており、山尾の全体像をつかむことができるものである。

展示でのメインは、山尾がグラスゴーのネイピア造船所に勤務していたときに使用していた鋸と鉋だろう。実物でもあり、そのインパクトは大きい。
しかし、印象に残っているのは、オープニングで道迫真吾主任学芸員がロンドン大学の優等証の重要さを強調されていたことにある。これは化学と分析化学についてその成績を評価するものとして2点が展示されている。山尾がイングランドに渡航していたことを示すものとしてだけでなく、山尾の学習状況がわかるものとして道迫さんがその意義を強調されていたことが印象に残った。
道迫さんがそう強調して話された瞬間、わたしのなかでは分析化学と山尾の関係という構図がつくられた。分析化学は、機器をつかって物質の定性・定量分析を行う化学の基礎分野のことをさしている。これは近代日本における工業とどういう関係にあるだろうか。たとえば、山尾は造船学を学ぶことによって横須賀造船所における船舶建造や工部省の灯台建設にも関与している。そこでの業績はいうまでもないが、その背後に分析化学の知識は重要なはずだろう。ひろくいうならば、「工部省における化学」という意味において山尾の果たした役割は何だろうか。これは当時のロンドン大学における化学教育の再検討が不可欠であり、わたしには専門外なので科学技術史の意見をまちたい。

それにしても、道迫さんの語りは魅力的だった。まず、強調の仕方がいくつかの段階に分かれている。たとえば、史料を見たときの個人的な感動(知人を介して山尾家に赴いて史料を拝見したときの驚き)、史料のどこに注目してほしいのか、あるいは展示全体の構成について。語りのレイヤー=個人的・専門的視点が複数用意されていて、観衆の引き込みかたがすばらしい。わたしは講義においてダラダラ話さず、要点は何かを明確に示すことについて注意しているだけに、道迫さんの語りはとても参考になった。馬脚をあらわすだけであろうが、さっそく実践してみたい。

ところで。ロバート・ネイピア夫妻の写真は注目すべき史料のように思われた。それぞれ1点ずつのカルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)でロバートのは裏にはサインと日付があり、ネイピアと山尾の関係を示す史料となっている。夫人であるイザベラの写真はさらに注目したいもの。イザベラは糸つむぎ機を手にしており、この機械はおそらく片手で綿毛をもちながら紡ぐタイプだと思われるが、スコットランドの文化が感じられるものとして、またこの女性のアイデンティティが感じられるものとして興味深い。糸つむぎ機と女性という組み合わせは、近代スコットランドにおいてどんな意味があっただろうか。糸つむぎは英語で”Spin”と言い、当時は女性の家庭内労働の1つであったはずだが、それをイザベラという、造船所の妻が行っているということはどういう意味があるのだろう。グラスゴーでも規模の大きいネイピア造船所のことを考えると、彼女は家庭内労働をしなくても生活に苦はないと思うのだが、あえて糸つむぎをしているということは金銭的な意味合いとは別の意味があるのだろうか。あるとしたらそれは何だろうか。糸つむぎのあのくるくる回転する車輪に裕福の永遠を願っているのだろうか。そんなことを写真を見つめながら考えた。

オープニングのあいさつでは山尾庸三の玄孫がお話をされたが、それによれば祖父の山尾信一さんから手招きされ、行ってみると鋸と鉋をみせられ、信一さんのうれしそうな顔を忘れることができないとおっしゃったことがとても印象に残っている。ひとつ告白すると、わたしは以前から信一さんと面識を得たいと考えていた。しかし、信一さんはご高齢でいらっしゃるためにご連絡を差し上げることが憚られた。そうしているうちに信一さんがお亡くなりになったという報せを受け、ひじょうにショックを受けた。同じ時間を生きているだけに落ち込んだ。面会が叶わなかったことを今でも残念に思っているが、微力ながら展覧会にお手伝いすることをつうじて、信一さんに感謝を申し上げたかった。

さて、わたしは情報・史料の提供、論考の寄稿をしている。詳しくは省くが、論考では明治4年に山尾が政府に盲学校・聾(唖)学校の設立を上申したあの著名な建白について、これまでの研究を総括しつつ、わたしからの視点もふくめて書いている。一般の方がお読みになると「なるほど、こういう意義があるのか」と感じられるように、また近代の専門家が読めば、「えっ!こんなことが?」という深い視点が得られるように隠し玉を用意している。
知識の有無かかわりなく、常にあたらしい知見が得られるような構成をめざした。

最後に、思うことをひとつ。
オープニング当日、博物館で時間がすこし余ったので展示を拝見した。ほかにはどなたもいらっしゃらなく、山尾が残した史料とわたしだけがあった。これらの中心を探してひとつの像(イメージ)を立ち上がらせることは、わたしが研究を行うときにとても注意することの1つの方法である。山尾が遺した多くの史料に囲まれているというシチュエーションは、その方法がそこに現前していたように思えた。
たとえば、そのときは木戸孝允からの手紙を一字一句、濃い墨が淡くなっては再び濃くなるという、筆先が硯におかれる木戸の身振りのリズムについていくように読んでいた。木戸が見た視線の、さらにその先をめざすような心持ちで読んでいると明治10年の内戦が日本を覆っているあの沈鬱などんよりした空気がそこにあったように思える。どのくらい時間をかけたかわからないが、とにかく木戸からの手紙については見ている時間が一番長かった。

史料の真後ろからピタッとついていくということ(史料を追い越すことは何か、想像力を働かせる行為のような気がする)。そのような、史料にたいして真正面から向き合うことの大切さを改めて確認した。これは歴史にたいする姿勢に限定されるものなどではなく、現代を生きるうえにおいて欠かせないものだ。それは「あなたの立場をかんがえる」という普遍的なことである。わたしが出会う/これから出会うであろうあなたが紡ぐ言葉や身振り、表情。そこにどう瞬発的に応答していくことで新たな関係を築いていけるか。あの展示空間、山尾が遺した史料から改めてそういう基本的な態度を内省することを教えてもらったような気がしている。わたしという人間がまったくできていないことを恥じるばかりだが・・・。

上に書いた、わたしの論考はカタログでしか読むことができないので、この機会にぜひお求めください!
みなさまからご意見を頂戴できますと幸甚です。

この展覧会をきっかけに山尾研究がより進められ、多くを語らなかった山尾の再評価が達成されることを願っています。
萩博物館のみなさん、たいへん勉強になりました。どうもありがとうございました。

追伸:萩博物館では常設展示に藩校・明倫館の孔子とその弟子たちの木主(位牌)、高杉晋作の展示室があります。その造形性や史料的な意義がとても高く、たいへん感銘を受けました。山尾展だけでなく、常設展もぜひみてください。

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