平成24年度 武蔵野美術大学 優秀作品展にて上映されていた、百瀬文《聴こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》が終わりました。皆さん、ご覧いただき、どうもありがとうございました。様々な感想を頂く事ができ、出演者としてとても感謝しております。ひとりひとりのご感想に答えることができず、心苦しく思っています。

これは、感想(1)感想(2)に続く感想(3)です。

上映が終わったあとの気持ちはどうか。
自分の肉体がそこにあり、百瀬文が表現したいことの一部を担っていて、皆さんの視線に曝されているし、交通の便がよいとはいえない武蔵野美術大学までおいでいただける皆さんに何かを得て帰って頂けるかどうかという点が気がかりだった。ツイッターをみるかぎり、素晴らしい反応を頂いており、百瀬さんに少しばかり貢献できたかなと安堵しています。ありがとうございます。

ここで、ふたつ昔話をしたい。

ひとつは砂場です。わたしは子供のとき、砂遊びがとても好きな子供でした。親と近くの公園に行って砂場に手をつっこんでさっと拾い上げていることを覚えている。小さな手におさまりきらない砂がサラサラこぼれ落ちていく。あの感覚・・・今もわたしの手に残っている。あのこぼれ落ちる砂は、わたしたちは本当はコミュニケーションをすることはできない、ということを示唆していたかもしれない。あの永遠に時間のはざまに落ちつづけてゆく砂。わたしはそれをつかむことはできないまま。

つまり、あの映像では、ノイズの話をしているが、それを消し去ること自体が本当の問題なのではなくて、音声であれ、手話であれ、人が何かを伝えるという行為こそ、拾い上げる砂を手渡すようなもので、どんなに慎重になっても、常に不定形で、元の形のままに受け取ることができない。そうだとすれば、わたしはそのような状況を引き受けているということです。もちろん、こぼれ落ちないように、しているが・・・。

自分にとって、人と人が音声だけで空間を介してコミュニケーションをとっている姿は驚嘆することだった。耳の聞こえない身体で一生を全うしなければならないわたしにとって音声でやりとりをするということは、経験することのできない、次元の違う、どこかの遠い世界の物語のようだ。

そして、2つめは声を聞かれることの思い出。

百瀬さんからの依頼は手紙で受けた。それは北村紗衣さんから依頼されて書いた「声を剥がす」に対する考えと、彼女がこれから作りたい作品の原型が書いてあった。それに同意したわたしは渋谷のカフェで百瀬さんに会った。そして、彼女はこんなことを身振りも伴いながら言った。「声を出してくれませんか」と。そのときに思い出したのは、子供のとき、わたしの声を聞いた他の子供たちのなかのある反応だった。

「へんな声しているな」

「おまえは日本人か」

「もっとちゃんと声を出してみろよ」

わたしの声を真似してからかう同級生もいた。
百瀬さんのその行動は、その忌まわしいともいえる思い出がわたしの前に立ち上がってくるのに十分なものだった。その思い出を両手で振り払いたいあまり、その場で椅子を蹴って「申し訳ないけれど、この話はなかったことにしましょう」と百瀬さんに言うこともできた。というか、そうしようと思った。わたしはフッと左に座っている百瀬文の目を見た。あの子たちとは違う・・・人を見る目だった。

わたしは彼女の依頼を引き受けることにした。

自分が抱いていた、ある絶望を隠しながら。
あのとき、絶望していなければ引き受けることはなかった。

誤解のないように言うと「どうなってもいいや」という投げやりな気持ちではなく、その絶望がゆえに、わたしは百瀬さんを受け入れようと決めた。そして、1月に公開されたあとに「時間がたったら、また見たいです」というご意見をたくさん頂くことができて、とても嬉しかったのと同時にこう思った。「あの映像を直視できるかな・・・?」という漠然とした不安。決して楽しいとはいえなかった子供のころの自分が投影されているあの映像を。

ただ、百瀬さんと彼女の作品を受け止めようと微かに震える手で彼女のスケッチブックに筆談した自分は間違っていなかったと信じたい。

ご覧いただき、どうもありがとうございました。
百瀬さん、お疲れさまでした。落ち着いたら、あの渋谷のカフェでお会いしましょう。
ラテを片手に、読書しながら待っています。

2013年 4月 25日(木) 20時48分03秒
癸巳の年 卯月 二十五日 辛酉の日
戌の刻 四つ

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