資料調査の一環で明治の新聞を読んでいるのだけれど、そのなかでフッと他の記事に目が留ることがある。このような道草のような行為は研究者ならではの出来事だとおもう。高階絵里加先生も『異界の海 ―芳翠・清輝・天心における西洋』において、新聞調査についての思い出としてそのようなことを書いておられるのを読んだことがあった。

その道草の例として、ある男女の物語を紹介したい。
「●白鼠の失望」という記事で、明治23年に書かれたものだ。一言でいえば、京都の祇園での恋物語。祇園だから恋愛はごくふつうに起きるべきことでそれだけなら珍しいことではないけれども、新聞に載るのがなかなか面白い(こういう形式を小新聞という)。どこかに新奇性、記者の目を引いた要素があったのだろうか。

記事の本文をちょっと読んでみよう。まず、縄手の三景楼というところが取り上げられる。縄手というのは鴨川に沿った道のことをさしていて、それが通りの名前になっているけれど、現在はこの言い方は公的にしていない。いまでいえば、祇園四条通から上のところである。


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ここに「三景楼」なる遊郭があったのだろう。人気者だった揚巻太夫のことが語られる。彼女は任侠肌、面倒見がいいという意味であろう、そして「容止(容姿)と裲襠(打ち掛け)さばき — 容姿、服装、作法も素晴らしいという。彼女に多七という呉服商が興味をもつようになり、富永町の青木(揚屋か)で会ったという。
富永町とは、現在の祇園四条駅のすぐ上にある町で、今も飲食街となっている。


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こうしてみると地理的にはすぐ近くのお店で出会ったものとみえるが、二人はお互いに見覚えがあったようだ。話してみると・・・揚巻太夫はかつて先斗町で活動していた梅鶴という娼妓だったという。噂の美女に会ってみると知っている人だったということはなんとなくどこかで聞いた話のようにも思えるが、これは新聞。多七は初めて会ったときに梅鶴のことが気になっていたけれど、会えずじまいで、でも独立したときには奥さんを持ちたいとおもっているが・・・でも、あなたは高嶺の花だから、と思っていると梅鶴も相手のことが気になっていたらしい。

それで多七は彼女を根引き(身代金を出して、身請けすること)しようとするが、まだ早いからと主人に言われてしまうと。タイトルに「白鼠」とあるのは、主人(大黒天)に対する忠義の白鼠という意味が含まれているのだろう。

さて、ここで記者は「其後何云相談になつたやら」としめており、二人の恋の行方がどうなったのかを書いていない。このような記事をみてしまうと未完の小説を読まされたかのようで、どうも悶々としてしまう。現在でいえば、ある風俗嬢とサラリーマンの恋愛ということになろうか。
ここで想像すると、彼女を身請けするには多くの金が必要で、それを考えると二人の恋は実らなかったかもしれない、と考えるほうが現実的ではあろう。いや、でも二人の絆を考えるとなんとかなったかもしれないと思いたい。

この記事を知ってしまったわたしは、祇園四条を歩くたびに多七と梅鶴はどうなったのか、二人の面影をふっと見ようとするかもしれない。だが、彼ら二人の姿は見えず、わたしはまた歩き出すのだろう。

2013年 4月 06日(土) 22時39分16秒
癸巳の年 卯月 六日 壬寅の日
亥の刻 四つ

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