tomotake kinoshita old journals

 

2009-08 journals

聾が離れるとき
2009-8-25(Mardi)
京都を離れ、家に戻ってくる。
もう八月も終わりだなと思う。思うようにいかないこともあるが、思うようにいくこともあった。
僕は生まれつき耳がまったくきこえないけれど、それに関連して、すこし前にある人からきかれた。どうやって日本語を身につけたのかという質問だった。それは何度かいろんなシーンで聞かれるのだけど、答えはだいたいこうだ - 僕が子供のころ、両親が新聞をみせて一生懸命説明したかららしい。たとえば新聞のテレビ欄をみせて、何時に何チャンネルでドラえもんがある、とか。時間と数字の概念とテレビがどんなものかということと、ドラえもんという存在を見せるために。そういうふうに新聞を通して世界を知るということがあったのだと思う。それはインターネットの現在になっても変わっていないような気がする。
古い人間かもしれない。だから、というのも変だけど、新聞が好きになっているようだ。明治時代の新聞はたとえようのない魅力があって、読むのがとても楽しい。
それともうひとつがテレビ・ゲームかもしれない。テレビ・ゲームは教育によくないとか、勉強ができなくなるとかいうけれど、テレビ・ゲームはぼくにとって役にたったと思う。
テレビ・ゲームに言葉は必要ないという、それはもちろん「テトリス」とか挙げられるだろう。だけど、テレビ・ゲームほど言葉を必要とするものもないのではないか。とりわけ、「ゼビウス」がそうであったように、物語にストーリーが入るとき、ちゃんとそれを理解する能力がないと、ゼビウスを楽しく遊ぶことはできなかったし、推理ゲームや探検ゲームでは、コマンドとテレビに表示される言葉を取り込めないとどうしようもない。とりわけ、ぼくのような耳がまったくきこえない子供だと、相手とは筆談中心になるのだけど、テレビ・ゲームは字幕っぽいんだよね。筆談だとすこし時間のロスが許されるけれど、テレビ・ゲームはすぐメッセージが表示されるので、感覚が違う、ということがあった。
そういう環境で育っているときに思うけれど、僕は言葉を考える、言葉を紡ぐとき、自分のなかで日本語が立ち上がってくるわけだけど、その瞬間は逆の意味でいえば、「聾」「聞こえない身体」が遠のいていく状況かもしれない。「聾」を言語を自力で習得できない人間だとするならば。つまり、聞こえない身体を説明しようとすることが、本質的矛盾になっているみたいな。
「聾」の状態がどんなことなのか、未だによくわからないでいる。

夏と秋が混じる季節になりましたね。

2009年 8月 25日(火) 20時51分43秒
己丑の年 葉月 二十五日 壬寅の日
戌の刻 四つ

上洛
2009-8-20(Jeudi)
上洛している。お世話になっている人たちと飲む。話の流れで、うかつにも自分の恋愛話をたくさんしてしまう。今思えばいろいろあったと思うが、問題はこれからなので・・・さてどうなるのだろうか。
それはさておき、京都に行く目的はいろいろだが、もちろん第一は研究のため。上洛のたびに京都国立博物館の平常展で作品を見て歩くのをいつも楽しみにしているのだが、今回は工事中なので行けず。京都にいながらして博物館に行かないなんて今回がはじめてかもしれない。
もうひとつ、個人にもりあがるイベントというのがあって、それがピンボール。京都市内にあるピンボール台をプレイするのが最高の楽しみになっている。夜になってから出かけてピンボールを打つ。そのとき、ただ、何も考えずに球を穴やターゲットに向けて打ち放つわけだが、これは本能を呼び起こされる。動物としての自分。自分のなかに「ちくしょっ!」「うわあ!」といった声が自然に僕の口から出るのが我ながら、こんな表情や声をする人間なのかと思う。野球のようにバットでボールを打つようにフリッパーで球を打つし、声が自然に出ているあたり、めざすところに当てることは男女関係の格闘のような気もする。
結局は、自分で自分のことをどこまで迫れるかという事に尽きるのかもしれない。

2009年 8月 20日(木) 23時19分52秒
己丑の年 葉月 二十日 丁酉の日
子の刻 一つ

紀伊国屋歩き
2009-8-15(Samedi)
でかけたついでに紀伊国屋で新刊のチェック。
インフォメーションのソースをみるための作業というか。アマゾンで本を検索すると関連商品が自動的に出てくるので便利といえば便利だが、自分が意識しない部分でどんな本があるのかみるのはやはり書店の棚をみるのが一番いいと思う。
ケプラー『宇宙の調和』『宇宙の神秘』を立ち読みしてみようとおもったが、どちらも置いていなかった。西洋思想のブースが小さくなっているのは不満だ。変わりに拡張されているのは心理学だが・・・。オング『声の文化と文字の文化』が再販されていた。ひさしぶりではないか、今年で15刷なので出版社はニーズを感じているのだろう。

「UP」8月号に連載されている山口晃の「すゞしろ日記」の53回はウィーン美術史美術館でブリューゲル、サンマルコでフラ・アンジェリコをみたときの照明の問題を取り扱っているが、これは大乗寺とも連結する問題。きょうみぶかい。ひょっとして山口さんはウィリアム・フッドの研究をご存知なのだろうか。建築における照明の歴史についてはいつか詳しく取り組んでみたい。

「本が好き!」9月号の西牟田靖「ニッポンの穴」紀行の8回は国立国会図書館地下倉庫である。何度も利用するところだが、地下はどうなっているのか知らなかった。地下8階であることは知っていたが、これほどとは・・・新聞資料は古いものだとマイクロフィルムだが、原紙もきちんと保管してあって(OPECで確認できるが、閲覧できない)書架にズラリと並べられているのにはため息。
最後の頁にあぜんとする。来年の1月で休刊するのだという。ああ。

紀伊国屋のScriptaはまだ出ていなかった。そろそろだろう。

平凡社ライブラリー『密教の神々』『大伴家持』は読まなければなるまい。

2009年 8月 15日(土) 18時41分57秒
己丑の年 葉月 十五日 壬辰の日
酉の刻 四つ

AからZへ
2009-8-10(Lundi)
木下長宏先生の新作を入手した。
http://www.msz.co.jp/book/detail/07450.html
これは2005年に講義されたものをまとめたもの。合計26回あるんだけど、ぼくも受講している。欠席しているのは、大乗寺、エロシェンコ、フーコー、土田、尹東柱、張彦遠だろうか。
欠席したはずの大乗寺にのめりこんだのは奇妙かもしれないけども。

フーコーの回では、講義では長宏先生がフーコーに会ったときの話があったのだけど、本ではそれが除外されていた。
この講義で知ったが、フーコーは雑誌に掲載した論文、エッセイを集めて本にすることはしなかったという。

ラスコーの回は読んでいてドキドキする。長宏先生がフランス政府の招聘で訪問したくだりが書かれているのだが、いまはラスコー・ドゥーというレプリカの洞窟が近くにできているためにオリジナルをみることができないのだが・・。洞窟のレプリカというのは初めて知る。

あのとき、2005年を思い出しながら読んでいる。

2009年 8月 10日(月) 23時34分57秒
己丑の年 葉月 十日 丁亥の日
子の刻 二つ

天国の価値
2009-8-9(Dimanche)
僕がマーシャル・マクルーハンを知ったのはたしか修士のころだったと思う。それで、『メディアの理解』を読んだときに知ったけれど英国詩人、ロバート・ブラウニングの詩で

"A man's reach should exceed his grasp, or what's heaven for?"("Andrea del Sarto", 1855)
「人間は手の届く範囲に甘んじてはいけない。そうでなければ、何のために天国は存在するのだ?」

というのがあって、思わずメモしてしまったことがある。ただ、マクルーハンはこの言葉をもじって使っているけれどね(原文ではA man'sの前にAh but..があるので、「ああ、しかし」からはじまる)。
ブラウニングの伝記を読むと好きになった人と夫婦になり、フィレンツェで妻の最期を看取ったという。妻も詩人とのこと。フィレンツェに行った事はないが、訪問したらブラウニングのことを思い出すかもしれない。

週に1回は部屋の整理をしており、その都度復習というか一週間にあったことを振り返る貴重な時間が今日である。
その合間、読書をして過ごす。

2009年 8月 09日(日) 21時36分56秒
己丑の年 葉月 九日 丙戌の日
亥の刻 二つ

木漏れ日
2009-8-8(Samedi)
伊勢神宮展に出かける。
19の「伊勢両宮曼荼羅」(正暦寺)は見たかったもの。検索したけれど、図版がなかった。カタログ買えばよかったかな。
小さいけど、図版は以下に。
http://www.iseten2009.jp/highlight/index.html

これについては、かつて西山克さんが論文を書かれているのを読んだ事がある。昭和に発見された掛軸で、弘法大師がいることから高野山真言宗との関連が指摘されていた。

そのおぼろげな記憶で、実物を目にする。まず、伊勢の道が斜めに書かれていない点がおもしろい。つまり、十字のように縦90度、横180度のラインで道が描かれている。これが隣にあった三井文庫本との違いのひとつではないか。
軸の四方に四天王像が描かれてあるのだけど、北は多聞天(毘沙門)なので、多聞天がどこにいるかが重要なんだけど、これをみたところ、左上にいた。ということは北は左上ってことだろうか。このことを検討するためには、内宮の位置を見る必要があるかもしれない。現存する内宮正殿は正面を南にむけていて、その下に門があり、北に東宝殿と西宝殿を背後に控えている構成。つまり東宝殿と西宝殿は正殿より北にあるのだ。
だが、この掛軸は違う。正殿が上にあって、東宝殿と西宝殿らしいものがその下、さらに門が下にある。
いったいこれはどういうことなのだろう。さきほどの多聞天の位置を考えると北は真上ではなくて左上になるけれど、たんなる画のプロポーションの問題なのだろうか。あまり方角なんて問題ないのだろうか。ちなみにこのことについて西山さんは真左を北にしていたと思う。理由は記していなかったかも。
さて、絵柄は建物の線がとても素人っぽい。四天王は武具や巻物をもっておらず手を合わせているという珍しいスタイル。一本だけの巨大な杉・・・崇神天皇の娘らしい女性が書き込まれている点、なによりも西山さんがいうように弘法大師の存在といった点をみていく。人物を描いてから風景を描いていったようにみえる。たとえば、大和姫命のあたりは服の上に木の葉が重なっちゃっている。

三井文庫の曼荼羅は、成立が江戸なので伊勢参りがあっていたわけだけど。で、個人的な興味として抜け参りとかアンオフィシャルな参拝客もいるのだろうね。見ただけではわからないけれども。
あと、だいぶ建築物がすごく想像上のよう。弁柄にするとかね。

キャプションには「奉幣(へいはく)」「撤下(おさがり)」という言葉で説明しているものがあった。神にまつるもの、まつったあとのもの、という意味だけど、普段の生活では聞き慣れない言葉なので、注記があってもよかったかもしれない。
で、撤下されたものは近代になってからは保管しているみたい。男神、女神は道教ともリンクしてくるだろう。

97の鶴斑毛御彫馬、パンダと馬が合体というイメージだけど、鶴といわれて、なるほどと思う。すでに絶滅した種とのこと。

こういう展覧会には英文のパンフがあって、必ずもらうようにしているのだけど、「伊勢両宮曼荼羅」はMandalas of the dual Shrines at Iseと訳されていた。dualとしているのか。

「皇室の名宝展」のパンフがあったので見たら、「蒙古襲来絵詞」が後期に出るようだ。これは見た事がないので行ってみようと思う。これは鎌倉幕府が蒙古に苦戦するという内容で学校の歴史教科書に必ず載る内容だけど、『蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究』(錦正社)によれば、実際は逆で蒙古が鎌倉幕府に苦戦している絵巻という。こんな感じ。
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/education/kyouzai/report/kaitou/01/01_08.html
見るのが楽しみ。

上野は陽が強く、肌を熱する。
そのままINAXギャラリーでキノコ展をみる。自分の名前と同じキノコがなくて一安心したけれど、妙に居心地がよかったのに我ながら苦笑してしまいそうだった。

悪の組織のアジトらしい雰囲気の店でカレーを食べる。一緒にいた人に教えられて気付いたのだが、カレー屋で飼われているインコが店内の凝った音楽にあわせて踊るらしい。かわいかった!

ニューオータニで小林かいちをみる。葉書や封筒のデザイン。じつをいえば、しばらくニューオータニに行っていなかった。パッとみてすぐ、こんな封筒があればいいのに、とおもった。
小林については、竹久夢二つながりで知ってはいたけど、まとめてみるのははじめて。月岡芳年の錦絵新聞を千葉市美術館でみたことがあるけど、その血のりを思わせる赤。
赤でも小林の手にかかると、センチメンタルな雰囲気になってしまう。ハート形がたくさんあっても、その隙間に悲哀がはさみこまれているような。失恋を知っている身としては、気持ちが圧縮されるというか、
スタイルは清長のようで、浮世絵に対する感覚がよみとれそう。着物のせいかもしれないけれども。
建築的には、関東大震災から影響を受けているのではないかという崩壊しそうな建築群(横山操的なコンポジション)が興味深い。
小林の写真をみると、京都の寺町二条の「あきつ館」。明治期の寺町は写真館が多い。
面白い展覧会だった。

六本木に移動してギャラリー間とサントリー美術館へ。
ギャラリー間のは「カンポ・バエザの建築」。第一展示室でみると - 具体的には、スケッチをコピーしたものをたくさん天井から吊るしており、ピンクの紙でタイトルと年代を示して、まとまった分類としてみせられるようになっている。これはよい、だが日本人の背の高さと合わないのではないだろうか。見上げる形になってしまう。

そのままサントリー美術館で「源誓上人絵伝」をみる。芸大とシアトル美術館両方の本があるけど、どちらもはじめてみる。シアトルのは、左下に琵琶を背負った盲人らしいのがいた。周囲の人物ももしかしたら盲かもしれない。近づけなかったのでわからなかったけど。
「二河白道図」は白と黒の石が交互に並べられたラインが軸の中央を斜めに横切っている。これは、世界地図なんかでも使われるようなラインだけど、境界を示すという意味なのかもしれない。

よい休日を。

2009年 8月 08日(土) 10時22分53秒
己丑の年 葉月 八日 乙酉の日
巳の刻 三つ

昼をつめて
2009-8-2(Dimanche)
七月が終わり、八月に。
いろいろ予定が入っていて思い出深い夏になるだろう、そんな予感がしている。夏というと、明治の浮世絵師、月岡芳年の辞世の句は

夜をつめて照まさりしか夏の月

というが、今回の皆既日食を思い出した。こちらは月が太陽の前にくるので昼に暗くなるわけで芳年と逆の世界のよう。空が暗くなるらしいけれど、滞在していた京都ではもともとドス黒い曇りだったからか、あまりそのような雰囲気にならず。

京都市営地下鉄で切符を買うとき、障害者手帳をみせると半額で購入できるのだけど、そのかわりトラフィカ京カードやスルッとKANSAI都カードが使えなくなるのが痛い。

少し前、ギャラリー小柳であった鈴木理策写真展 「WHITE」をみにいったら、小幡和枝と記帳した女性がいた。あのスーザン・ソンタグとご親交があった小幡さんだろうか。目立つファッション。

東京藝術大学大学美術館で「コレクションの誕生、成長、変容―藝大美術館所蔵品選―」をみる。見た事のあるものもあるが、見ていないものもある。とくに井村好兵衛「白狐」は僕がみた彫刻のなかでも、異彩を放つというか、脳裏に刻まれるものであった。寄せ木をしていて、11のパーツ(たぶん)に分解可能なものであるが、妙に人間でも動物でもなさそうな表情に惹かれる。

今和次郎の卒業制作は、刺繍の痕を想像しながらつくってあって、KONワジロと模様にまぎれるように縫い付けられてある。

高橋由一の有名な「鮭」を何度かみていて、今回思ったのは、油彩のなかで水墨画的なことをしているのではないかということだった。骨のところに黒いラインがあるのだけど、水墨のような動き。
「溌」だろうか。飛び散るような感覚がある。

損保ジャパン東郷青児美術館の岸田劉生展もみる。
自画像だけ集めた部屋が最初になっている。そのなかで木板に描かれたものは木の目がベーコンみたいに縦のラインのように浮き出ていて、ちょっと違うコンセプトのよう。全体的に痙攣しているというか。1912から1914年に集中して描かれた自画像ばかりだった。「椿君之像」(1915.2.27)から精緻になっていくようで、その前作が「Tの肖像」(1914.12.12)のようだけど、年を跨いで何が劉生のなかで起ったのだろう、かと思った。
「F氏の像」は血流の動きまで捉えようとするような集中。


2009年 8月 02日(日) 16時16分44秒
己丑の年 葉月 二日 己卯の日
申の刻 三つ

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