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2009-05 journals

フウジン・リセット・トバサレルー!
2009-5-26(Mardi)
京都から戻って以来、体調がいまいちのようで夕方になるとうまく頭がまわらない。集中力が途切れがちになる。うーん、無理しているのだろうか。
もやもやした気持ちが伴う。いろいろはっきりしないこと多いよ。人間関係もそうだし、研究も。人間関係で、自分の気持ちや考えを表明しても、返事が希望する内容ではないとか、ズレているとか。もやもや・・・。うーん!すっきり吹き飛ばしたい。どっかから風神きて、轟風をふきつけてくれないだろうか。自分ごと吹き飛ばされてしまうのがオチだが。
そんなわけで、いろんなことをうわーって忘れてしまいたくなることがある。リセットしたい、なにもかも消え去れ!という気持ち。こういうとき、いろんな絵をみたいなあ・・・見たい!と思って出かける。昔はよく、美術館・博物館で目的もなく、じっとソファに座っている時間があったけれど、そのような時間が懐かしくなってきたところ。そういう時間、一人で過ごすのが大好きだし、今もそうだれど、最近は人と過ごすのも面白くなってきた。

明治の新聞記事をみる。


天璋院(篤姫)の記事。これによれば薩摩、鹿児島に帰ることになっていたという内容なのだが、僕が知っている範囲だと篤姫は江戸に上がって以来、一度も故郷に帰ったことはなかったはず。去年あった大河ドラマ「篤姫」でもそのような設定になっていた。
だが、この記事では、鹿児島に帰るということになっている。もちろん、鹿児島県立図書館に問い合わせてみたけれど、よくわかりません・・・という回答だった。新聞記者の間違いなのか、それとも計画されていたものの取り消したということなのだろうか。
このような内容に対して、うそだ!ほんとうだ!なんて決めるのではなくて、どうしてこの新聞記事が出ているのか、それが大事だと思う。決して、先入観に惑わされないように・・・。そう言い聞かせながら。

2009年 5月 26日(火) 18時48分22秒
己丑の年 皐月 二十六日 辛未の日
酉の刻 四つ

京都で
2009-5-23(Samedi)
京都から戻ってきました。
ある打ち合わせで、僕が投入堂に入っていることをご存知の方がいらっしゃったのでびっくりする。自分以外はもう誰も気に留めないことだと思っていたのに・・・。
しかし、投入堂は不思議だな。もうあれから1年半ぐらいだけど、目を閉じれば、投入堂のなかに入ったときの感覚がありありと蘇ってくる。よほど脳裏の深い、深い部分に刻み込まれているらしい。人が死ぬ時、走馬灯現象というが過去の情景が流れるように出てくるというがそのなかの1コマに入るのかもしれない。

上洛するときは必ずなにかの展覧会をみるのだが、今回は京博が休館ということもあって1つしかみられず。それが東本願寺展。
御影堂での放水実験図、一建起図(うすっぺらい紙を組み合わせた模型っぽいもの)、最近発見された応挙と伝・蘆雪の衝立、棟方志功のアクション・ペンティング(と呼んでいいだろうか)など小さいながらも面白いものがいくつか。

京都聴覚言語障害者福祉協会の理事長、高田英一さんにはじめてお目にかかる。酒席で、矢継ぎ早にいろんなことを的確に質問され、うまく答えられたかどうか・・・。いろいろ話をさせていただく。
学会での手話通訳をどうやってつけてもらうかという話で、高田さんから「ケンカのやり方を教えてあげるよ」と言われ、笑ってしまう。

2009年 5月 23日(土) 09時32分50秒
己丑の年 皐月 二十三日 戊辰の日
巳の刻 二つ

王岡をみながら
2009-5-16(Samedi)


木下先生がハーヴァード大学美術史の招聘で岡倉覚三について報告されるのを見に行く。美術史というよりは、美学・政治のほうの話で、岡倉覚三を政治的に利用することはどういうことかという話。
来月、木下先生の講義、『美を生きるための26章』が刊行されるとのこと。僕が熱中している「あの寺」も出てくる。

なんか身体の具合が変わった。前には無意識でフッとできた動作が今回はちょっと意識しないとできない。自分の体をいたわる暇なんて無かったのがいけなかったのだろうか。
毎日夜遅くに帰宅して、ご飯を食べて、風呂に入るんだけど、体を拭いている時点でものすごく眠たくなって、寝床で頭を拭いていたら、もうウトウトしかける毎日。こないだなんか、ドライヤーで頭を乾かさないといけないのに、それもしないで気付いたら早朝だったり。でも、まあこういうことは去年の八月はよくあった。毎朝五時にはおきて出かけて、夜に帰ってくるというループ、ループ。
明石家さんまが娘さんに「いまる」と名付けたのは、「生きているだけでまるもうけ」の意味を込めていると知って、気楽になるけれど。



ちょっと前まで東京国立博物館にあった、王岡『四季花鳥図巻』(18世紀、清代)。岡本秋暉のような緻密さと蕪村のような省略さ(あるいは適当さ(笑))みたいなものが入り混じっていて、おもしろい作品だった。目の解像度的にいえば、細部まで細かく描かれていて、燦然たる事実のみのようですんなり見てしまう、悪く言えば想像力が働く余地がない部分とよく見えない、ぼやけている部分があってそこで解像度を自分の目や脳で修正してしまうような。そんな絵巻だった。
見ているとき、一瞬一瞬だけど、どうして自分が生きていると実感できるのはどうしてなんだろう。そう思いながら、きっと死ぬまで絵や彫刻、版画を見続けるのだろう。

2009年 5月 16日(土) 22時32分22秒
己丑の年 皐月 十六日 辛酉の日
亥の刻 四つ

黄金週間を過ぎて
2009-5-15(Vendredi)
間があいてしまいました。ぐうたらしていたわけではないけれど、なかなか日記を書く間合いがつかめなかった。黄金週間は、外出もせず、ひたすら部屋にこもっていた。
重要なことがいくつか重なり、展覧会をいくつか見逃してしまう。ちょっと残念・・・。江戸東京博物館の東海道五十三次展は楽しみにしていたのだけど。

歌舞伎作者の並木正三について紹介されていたテレビをたまたまみたのだが、金丸座の廻る舞台、セリ上がり、セリ下がりといった空間を動かす概念が面白い。
国立劇場まで人形浄瑠璃をみにいく。
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2569.html
「伊勢音頭恋寝刃」は「国言詢音頭」とは別質の恐怖だった。最後の最後で斬るべき対象の男が出てきたのは取り逃がしてしまう国言詢音頭と違うよね。「伊勢音頭恋寝刃」の奥庭十人斬りの段は名前通り十人を斬るものだが、寝ぼけて廊下を歩いている子供が血まみれの廊下で足をすべらせてしまい、ことの大きさに気付いてふるえる。そして片足を斬られてしまうが、これは「国言詢音頭」にはないところだと思う。
人形浄瑠璃の下敷きとなっているのは戯曲の台本を書いた近松一門だけど、そのほか江戸期の小説は本当に面白いとおもう。泉鏡花や岡本綺堂といった戦前の作家の文体はものすごくいい香りがする。それは漢字の緻密さもあるのだろう。日本語は幸田露伴で終わったのではないかと言う先生もいる。だから、社会学者の加藤秀俊先生による漢字の使い方をみたとき、びっくりしたな。

パリに留学しているらしい男性の「手話は本当に言語なのか?」と題された日記。ただ、男性は「言語学者ではない。」と書いているけれど。
http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/200905140000/
こういう日記が出てくること事体、いいことだとおもった。
このブログでもとりあげられているが、"Sourds et Malentendus"というドキュメンタリーは以下にあり、お金を支払ってもいいとおもったが、あいにく日本からは見られない。
http://wiki.france5.fr/index.php/SOURDS_ET_MALENTENDUS

ところで、このビデオは聾者の菓子職人養成コースでの紹介だが、「おまえ、わかる?」「知ってるぜ、わかってるよ」と生徒がフランス手話で会話するシーンや途中でパンをこねながら手話をしているシーンで何故か笑ってしまう。
http://www.curiosphere.tv/video-documentaire/5-vie-scolaire/107134-reportage-scolarisation-de-mohammed-sourd-profond
ちなみに取り上げられている学校はこちら。
http://www.institutgbaguer.fr/

2009年 5月 15日(金) 18時47分49秒
己丑の年 皐月 十五日 庚申の日
酉の刻 四つ

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