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2009-04 journals

パイクのいないヴィデオ
2009-4-29(Mercredi)
連休がはじまる。いつものことながら、この期間は思いっきり読書に充てるのだが今年はそうもいかない。大好きな文楽も封印することになるかも。

先週25日、国立近代美術館の『ヴィデオを待ちながら』に関連するレクチャーで門林岳史さんの回に参加した。
http://www.momat.go.jp/Honkan/waiting_for_video/index.html
美術館によれば、手話通訳をつけるのはじめてなのだそう。これまで聾者から依頼を受けたことはないことをスタッフからきいた。なんだかさびしいけれど、それはともかく。
門林さんはマーシャル・マクルーハンを中心にメディア論について考えてこられている方。『グーテンベルグの銀河系』を読んだのが最初。そのあと、『メディアの理解』など著作にふれていくことになり、その延長で門林さんの存在を知ることになる。
聾者が盛んに周囲からいわれている「沈黙」そのものと活版印刷や声との関係を考えるとき、マクルーハンはとても大きい存在である、と思っている。ゆえに、聾や盲の人々にとってマクルーハンはもっと読まれるべき人だと思う。だから、もし僕が幸運にも盲や聾の人々の前で講義をすることになったならば、マクルーハンをとりあげないわけにはいくまい。そして、いうまでもなく、建築的にも重要である。

門林さんはメディアはメッセージ、身体の拡張、グローバル・ヴィレッジなどマクルーハンで重要な言葉を紹介しつつ、テレビにおける言説を解説していく。読んだことはあるけれど、門林さんの話をきいていくとより強化されていく。それとともに、ヴィトー・アコンチ、リチャード・セラ、そしてナム・ジュン・パイクの実作を解説されていた。このときに気付いたが、パイクは唯一出品されていない。どうしてだろう・・・。出品されていない人の作品を門林さんが出すのはおかしいという意味ではなく、パイク抜きで「ヴィデオを待つ」ことに成立していたのに気付いたのがおもしろく思えた。

2009年 4月 29日(水) 20時34分47秒
己丑の年 卯月 二十九日 甲辰の日
戌の刻 四つ

La Tête contre les murs
2009-4-21(Mardi)
ジョルジュ・フランジュの映画"La Tête contre les murs"がDVDで出たのはよいが、字幕がないことが以下のサイトでわかった。
http://www.dvdfr.com/dvd/f42221-tete-contre-les-murs.html
見たいと思っていた映画のひとつだが字幕がないのでは耳が聞こえないものとしては何を言っているかわからないので残念なところ。

予告編は以下。



2009年 4月 21日(火) 16時18分18秒
己丑の年 卯月 二十一日 丙申の日
申の刻 三つ

ニュートラル
2009-4-15(Mercredi)
なかなか忙しい。もちろん、忙しいことを言い訳にしてはいけない。おのおのの作業を少しずつ進めていかないと。こういうときこそ、ニュートラルな状態を常に意識しておかない、と思った。
同時にふっとこうも思ったけど・・・たとえば、よくいわれるのは忙しさのなかで、プロジェクトAとBがあって、AからBに頭を入れ替えるときにA→Bに切り替えるのではなくて、A→ニュートラル→B、みたいな。つまり、ニュートラルな状況を意識して仕事をするみたいな。
でも、ニュートラル(neutral)ってなんだろうね? 簡単ではない問題。物理学でいえば、中性、中和、無性という意味でいわれている。詳しくいえば、酸性も塩基性も示していない状態を中性とぼくたちは学んだ。
生物学でも中性は「間性」といって、生物で雌形質と雄形質が混在していることをいうよね。心理学だって、「中性刺激」っていう言葉があって、刺激に対して反応をもたらさないぐらいの強さの刺激っていう。ちなみに自動車で、クラッチをしてても、エンジンのパワーが車輪に伝わっていない状態もさしている。
ここまでかくとイメージできるのは、二項対立の存在があって、その合間にいるのがニュートラルということなのだろうか。
かつてEHESSにご留学されておられた、森千香子さんとお話したときに、彼女が言っていたのは、ほんとうに中立的なんて存在しないのではないかと。そのことを就職活動を事例に言っていたことが思い出される。無味無臭がもてはやされる、ような。

2009年 4月 15日(水) 17時21分52秒
己丑の年 卯月 十五日 庚寅の日
酉の刻 一つ

ビギング・オブ・ザ・フィスカル・イヤー
2009-4-9(Jeudi)
新年度になり、ようやく少し自分のリズムになってきたところ。
年度末始め、出張があったり。
ニュースステーションで市川寛子アナが天気からキャスターになっていたのを知る。市川アナって目がパッチリしてるよね。
でも、残念なことに市川さんの顔をみている暇がない(え?意味不明)いろいろやることを丁寧にひとつずつこなしているところ。

本棚を整理する。文庫を整理するためのものを買った。
http://www.tenmacorp.co.jp/housewares/products/detail/item00211.html
さあ、入れるぞと思ったら平凡社ライブラリーは普通の文庫よりちょっとサイズが大きくて入らなかった。でも、まあ岩波とかちくま文庫とかが結構あったので、それを入れたのだけども。
文庫ってどれも同じサイズじゃないんだなということを今更ながら知る。

ある研究で『世界の名著 26 ニュートン』に目を通す必要があったのだけど、冒頭に「ニュートンの十五枚の肖像画」という河辺六男の文章がおもしろい。特定の人物を対象にした肖像画がどのような系譜で描かれていくか、というのは最近の興味のひとつだ。

プロジェッショナルで建築家の伊東豊雄さんが登場された。
台北のオペラハウスが登場。ゲント市のコンペで負けたときの悔しさについての話や、オスロでの複合施設のコンペについての編集が中心だった。
このあとの番組が2代目桂枝雀を回顧するものだった。そう、自殺された落語家。伊東豊雄と桂枝雀がオーヴァーラップする。お二人はニュートラルな環境のなかで考えてきた人のようにもみえた。

コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』の最後にとりあげられている図版はプッサンの「盲人を治療するキリスト」で、ロウは背景にある町並をとりあげているのだが、僕の目には、人々の中心にいる盲という存在、いわば特別な目でみられている存在が作り出す環境に対する、奇妙な捩じれが気になる。

2009年 4月 09日(木) 23時20分04秒
己丑の年 卯月 九日 甲申の日
子の刻 一つ

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