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2009-01 journals

Le 25 juin
2009-1-28(Mercredi)
またまた徹夜してしまいました。いけないとはわかっていながらもやっていることがあまりにも面白く、取り組み甲斐があって。

フランスの新聞、ル・モンド紙でミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランス関する書籍"Le gouvernement de soi et des autres : Tome 2, Le courage de la vérité - Cours au Collège de France (1983-1984)"が今月に出たということが紹介されていたので、アマゾン・フランスでチェックしようと、
http://www.amazon.fr/dp/2020658704/
案内を読んでいたら、冒頭に...Il meurt quelques mois plus tard, le 25 juin....とあった。ああ、フーコーは6月25日に亡くなっているんだ。1984年没までしか知らなかった。

それで思い出したけど、その日はある、とても印象深かった人の誕生日。でも、だいぶ前から会っていないので、今どこでどんなことをしているのか少しも知らない。元気なのかそうじゃないのかすらもわからないのだが、きっと溌剌とした毎日を送っているのだろう。
日々、自分のやりたいことやしなきゃいけないことに取り組む生活をしていると、当然なのだけど思い出さなくなっている。現にその人がする表情の輪郭も消え去る煙のようにぼやけてしまった。例えば、唇の動きを忘れてしまった。昨日までは見えたのに今日はもう見えない。
それでもなお、誕生日をはっきり覚えているという数字の不思議。忘れるのか忘れないのか、それはわからないけれど、このままでいいのかなあ。

・・・でも僕は人の誕生日を覚えてても「誕生日おめでとう!」っていうメールをうっかり忘れてしまう人だからだめなのだけどね。
だんだん夜が白み始めてきた。

2009年 1月 28日(水) 06時11分17秒
己丑の年 睦月 二十八日 癸酉の日
卯の刻 三つ

固有名詞の複数形
2009-1-21(Mercredi)
アメリカ大統領就任式をみる。
"We"と"You"に形容されているのは、責任や行動もだけれど、「感覚の共有」や共感が沸き起こっている現象があって、それを思うと、"Barack Obama"という固有名詞は複数形のような響きが伴う。もちろん"Barack Obama"は一人しかいないが、そのシルエットの境界線が曖昧にぶれてきて、"We"に拡張している。

原稿無しで演説していた。タモリは赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読む際、白紙の原稿を持ち出して読んでいたことに「タモリは暗記していたのか?」などといろんな人が驚いていたけれど。
NHKの「視点・論点」ではほとんど原稿そのままにしゃべらなきゃいけないらしいが、講義や講演をいろいろやった身としては原稿まるまる通りにしゃべることはとても苦しい。論文発表では原稿を事前に配布しているけど、結局人の表情を見ながら話している。

2009年 1月 21日(水) 22時50分12秒
己丑の年 睦月 二十一日 丙寅の日
亥の刻 四つ

積み上げた本が崩れる瞬間
2009-1-18(Dimanche)
アメリカでとても古い雑誌、"Harper's Magazine"でここ最近ブック・レビューを書いていたジョン・レオナルドが去年の11月に亡くなっていたことを今月号の追悼記事で知った。デリーロやSF作家のディックとのこともからめて。挿絵がすごくよかった記事。
追悼記事の挿絵はピトーの"Discarded Treasures"だった。



ジョンの部屋をみると、奥に本が丁寧に積まれていて、本当にこのような積み方をしたかどうか、なんだけど。むしろ机の上が。
http://mumpsimus.blogspot.com/2008/11/john-leonard-1939-2008.html
で、ピトーのこの構成はヘイスブレヒツのような画家の脈流に位置するように見える。自分の体内にリズムが生成されるような力がある。その間にセザンヌの静物画を入れると、ややこしくなりそう。もちろん美術史的には必要なことだろうけれど、ヘイスブレヒツからピトーに飛んだ方が飛び甲斐があるのではないか。
中井正一「リズムの構造」で、呼吸や脈拍といったものが計測されていくというくだりがある。聞こえないということは必ずしも、音が聞こえないということではないのだから、中井の言う、呼吸に意識していくことはおもしろい。ここにピトーを思うし、耳が聞こえないことの身体性を強く思わせる、内面的な思考をするのにいい本だとおもう。
でも、まわりの聾者や手話使用者をみると、聾としてのアイデンティティやろう文化ということが言われていて、聞こえないことを恥ずかしがらない、聞こえないっていいじゃんっていうようなこと(もちろん悪い言い方かもしれないと思う)を言う人もいる。それはまあいいとしても、本当に問題なのは「だから許される」といった無神経さ、聾という旗印へ対する盲目的服従的な行為。デフアートと形容されたものが特にそうだけど、聾者だけのアートイベントというのがあって、出かけるとものすごくガッカリする。ただ技術があるだけで、思想とか精神とかそんなのが全く無く、強度が少しもない。吹けば吹き飛ぶような作品しかない。
ピトーの本の積み上げを描いたものは、ちょっと揺れたら崩れ落ちそうな微妙な力関係と危うさがあって、とりわけ一番前にある赤っぽい本は落ちかけているようにみえる。「ああ、落ちるよ」という音の「予感」があって、その裂け目に聾が潜んでいるのだと思うのだけど。

2009年 1月 18日(日) 22時27分15秒
己丑の年 睦月 十八日 癸亥の日
亥の刻 三つ

ぐるりと一周
2009-1-14(Mercredi)
アマゾン・アメリカで注文した本がキャンセル扱いになったとき、お金が返金されたのだが、昨今の激しい円の動きで払い戻しの額が上がったりする。ちょっと小数点が変わっただけで結構違うのだからソニーのような海外事業で利益を上げている企業は堪えてしょうがない。

論文を読みこみ、図面を読解しつつ作業していたら夜空が白んで太陽が「おはよう」と言いかけているのをみて、寝るのをすっかり忘れてしまっていた。ま、いいか。
さあ、朝の運動をしに行こうか!

2009年 1月 14日(水) 06時33分39秒
己丑の年 睦月 十四日 己未の日
卯の刻 四つ

Bonne année 2009
2009-1-4(Dimanche)
新年あけましておめでとうございます。
挨拶が遅くなりました。
年末年始は実家に帰省し、読書と論文中心の生活。

初夢はやばい夢でした・・・。ちょっと凹み気味。

今年初の建築訪問は、下関の旧秋田商会のビルディング。
はじめてじっくりみたけれど、屋上庭園というのがかなり目をひいた。以下サイトの紹介をご参考に。
http://www46.tok2.com/home/arc/yamaguchi/yamaguchi_09.htm

読書初めはニコラス・ハンフリー『喪失と獲得』でした。「感覚の私物化」「法の前における虫と獣」のくだりがもっともおもしろい。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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