tomotake kinoshita old journals

 

2008-09 journals

原宿から横浜
2008-9-28(Dimanche)
太田記念美術館でベルギーロイヤルコレクションをみる。
ブリュッセルでみたかもしれないが、覚えていなかった。保管状態がとてもいい、とうたっていたのは確かにそうだが、照明がちょっとこの美術館は良くない。
とはいえ、春信が何点か出ているのをまずみていく。「娘を背負う奴(やっこ)」(明和2〜7)は中年の奴が娘を背負っているタイトル通りで、確かに伊勢物語をモチーフにしているっぽいが、解説には大森彦七、あるいはお半と長右衛門も捨てきれない、としてある。春信の女性と男性の描き方で極端に離れているのと、これが男?と思わせるような、中性的な存在(いや、中性というのは相応しい言い方ではないが)、女とも男ともとれる人物が闊歩しているのを春信の中でみることがある。その極端さというか、ジェンダー的な面は面白いとおもう。
さて、国貞の不動明王は、最近、芳崖展でカラフルで西洋的な不動明王をみたせいか、リンクできないか考えてしまう。こちらも色使いは赤に青と派手だが、破綻していない、日本の枠組での色使い。
昇亭北寿「東都両国之同景」はおもしろい風景画。筵をかけた見世物屋があるのだが、高さが普通じゃない、5階建てのビルぐらいありそう。その存在感がぬっと出てきているのが、なんとなくよい。現代でいう、ホールみたいなものか。
北斎の「鳥羽絵集」では浄瑠璃太夫の語りがあるが、身体がありえない感じで伸びていて、写実というよりは声のイメージをつかもうとしたようにも見える。北斎の富嶽百景は噂にはきいていたが、たまたま表紙をみせていて、浮かし刷りになっている・・・。
豊春の熊野湾で鯨狩をする図は、いうまでもなく遠近法云々・・・と解説が付されていたが、鯨の悲しそうな眼が靉光の蛸のような生物の眼を思いださせるものだった。
柳々居辰斎の「相州七里浜」は司馬江漢みたいだなとおもっていたら、解説にもそう書いてあった、こういうとき僕は「負けた」となぜか思ってしまう。
などなど・・・。原宿をひさしぶりに歩いてご飯を食べる。

昨日、木下長宏先生のところで岡倉覚三「日本美術史」を受けにいく。今回は天智時代だったが、岡倉はそこで琵琶に螺鈿を施した有名な作品を出している、これは未見なんだが一度見ておかなければ・・・。岡倉の講義を受けていた高橋勇のノートによれば(これは出版されていない)、推古、天智、天平時代を植物の成長に例えているところがおもしろい。美術のイメージがぐっと広がるではないか。
岡倉は言っていないが、個人的にひかれるのは、白鳳時代の観音菩薩立像(法隆寺百済観音堂)。あまりメリハリのない薄い表情(色が落ちているからだけかもしれないが)、今にも落としてしまいそうな宝瓶、弱さがある。逆に言えば、時代を同定するのが難しい。横からみると、びっくりするんだけど、めちゃくちゃ薄いんだよね。風が吹けば倒れそうなほどでレリーフなのか彫刻なのか、そのぎりぎりを見せている彫刻。筋肉もない。ジャコメッティの彫刻のような身体にもみえかけるが、しかし光背がそう思わせない。

今日、目覚めたら結構寒い。水も冷たくなってきているし、秋だなあ。
神奈川県立博物館の「五姓田のすべて」をみる。前期はもう見ていたが、後期と前期ではほとんど入れ替わるということと山本芳翠が何点か出るのでいい機会とばかり。
五姓田の場合、家族構成や師弟関係がどうなっているかよく把握してから見なければならないはずだが、カタログにはそういう人間関係図が記載されていない、これはよくないのではないか。まあ、これは本当に絵をみるときに必要かというとそうではないだろうけれども。仕方ないので自分で人間関係図を作ってから見た。
注目していたことのひとつは、芳柳が大阪陸軍臨時病院内を絵にしていること。医学史として面白いし、身体に対する考え方、疾病の変容、病院内部の設えがちょっと変わってきていることを観察できるんじゃないかと思う。
これに関連するかどうかは別として、大久保利通らしきスケッチがあったのだが、書き込みがあって、前頂骨という、頭蓋骨のパーツだとか眼、唇の特徴を付記しているのを見た、結構具体的な身体的記述なので、やはり医学的な現場の近くで仕事をしていた成果もあるんじゃないだろうかと思われた。いうまでもなく美術教育では解剖学を教えるようになったが。
山本芳翠の有名な「裸婦」は、はじめてみたが、乳首を塗りつぶしているような気がした、ちょっとその位置が周辺の皮膚より色が明るいんだよね。ただ位置も微妙なのでよくわからないが、乳輪がまったく見えないというのは奇妙な気がする。

帰り、レンタルビデオ屋さんで何枚か映画を借りたが、家のDVDプレイヤーが壊れてしまったらしく見られないことに気付いた。参ったな。
それはそうと、ヨドバシカメラでワイヤレスゲートというのを知る。これは安いな・・・。変に携帯でパケット料金を払うよりはこちらのほうがお得感があるんじゃなかろうか。もちろん場所によるけども。
http://www.tripletgate.com/wirelessgate/
フレッツ・スポットは東京国立博物館でネットできるのでこっちにしようかとも思ったことはあるが、ワイヤレスゲートも良さげ。


2008年 9月 28日(日) 19時22分17秒 曇
戊子の年(閏年) 長月 二十八日 辛未の日
戌の刻 一つ

エブナ先生のもとでLSAF修業
2008-9-26(Vendredi)
東京外国語大学本年度言語研修でフランス語圏アフリカ手話(LSAF)が採択されていたのを今年の5、6月ぐらいに知った。
http://www.aa.tufs.ac.jp/project/language/gengokensyu2008.html

以下サイトから。
フランス語圏アフリカ手話は,アメリカ手話との間に多くの共通語彙をもっています。一方で,フランス語の口型(口の形や動き),つづり,語順を取り入れるなど,アメリカ手話には見られない特徴もさまざまにそなえています。また,食文化関連の語彙など,アフリカ固有の手話単語が数多く含まれていることも特徴のひとつです。

フランス手話を勉強している関係でこの手話の存在を知っていたし、とてもいいチャンスだとばかり夏休みを利用して受講し、カメルーン人のエブナ先生、外大の亀井先生からみっちり鍛えていただいた。


エブナ先生(教材用DVDからスクリーンショット)とても朗らかな先生だった。


なかなかにハードな日々でしたが先日無事閉講。受講生は10名、それぞれ目的も立場も違う。ちなみに聾者は僕だけだったのは軽く驚いたけれども。
一日目で最初Bonjourから入るのだけど、これがフランス手話と全く違った表現で、びくっとしたものだ。「ああ、これはフランス手話(LSF)とは全く違う!」って。もちろん亀井先生はLSFとは違うと説明しておられたのだが、これほどとは・・・と最初は面食らった。
一日の流れとしては、テキストにある会話例をエブナ先生と亀井先生がやられて、そのあとに我々がペアになって練習を組むというもの。そして単語表現、アフリカ文化についての話があり、毎週金曜日は試験にアフリカの聾関連について研究や活動をされた方々をお呼びし、講演するというものだった。
それにはテクストとして本とDVDが配布され、DVDは自習用教材として位置づけられていたのだが、知っている手話教材のなかでも白眉だった。


教材用DVDの一例。右の会話例にあわせて映像が動いていく。


いま、手話の世界では教材としてDVDがいろいろ出ているが(全世界の手話教材をまとめているサイトはみたことないが)、これは文法、単語も豊富で丁寧な作りになっている。LSFのDVDもあるんだけど、これはいわゆるVOBファイルを扱う形式で、ちょっと取っ付きにくい面がある。でも今回のはhtmlで扱えるようになっていて、つまりFirefoxが動くパソコンであれば大抵動くし、しかも動作がサクサクしているのが最大のメリット。DVDプレイヤーだとボタンを押してもすぐ動かずもっさりしている感じなのだから、スピード感としてはとても学習しやすいものにしあがっている。亀井先生、じつに素晴らしいお仕事をされている!と強く思ったものだ。

LSAFやっていて面白かったのは、LSFとの相違点や類似点の表現をみつけたときの喜びだろうか?たとえばvivreはLSFとLSAFでも同じ表現だったり、またはいくつかの単語はまったく別の表現になるのだが・・・フランス手話の古い辞書をみると、19世紀の今はすっかり廃れてしまった表現とLSAFが全く同じだったりするのはとても面白い。時空をとびこえている。
最終日の次の日、エブナ先生が秋葉原でパソコンを買うというので、同伴して案内する。事実上の最終試験みたいなものでエブナ先生とパソコンショップ店員の間で通訳をする。LSAFで実習するのは初体験だけあって結構ハードワークでした。
いずれにせよ、これでだいぶLSFの感覚も広がってきたし、よかったではないか。もちろん課題もないわけではない。LSFを先に勉強しているので、ふっと無意識に手を動かすとついLSFとLSAFが混じってしまうのだ。なにしろ口型が同じなのだから・・・もっと修業せねばならないことを痛感しつつ。明日から(あ、もう今日か)まだまだ修業は続くよ。

2008年 9月 26日(金) 00時30分55秒 晴
戊子の年(閏年) 長月 二十六日 己巳の日
子の刻 四つ

秋晴の出来事
2008-9-24(Mercredi)
東京国立博物館、東京芸大美術館、東京美術倶楽部を梯子する。
東博では、「中国書画精華」の前期目当て。「十六羅漢図(第四尊者)」(北宋時代・10〜12世紀 京都・清凉寺蔵)は童子の色がべったり白くて、ボゥっと浮かび上がってきている、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのようなニュアンスも漂う。「十六羅漢図(第八尊者)」(金大受筆 南宋時代・12世紀)は従者の鼻と耳が肥大化して猿のような貌、足は爪が生え、手は人間の手のようにきれいにそろえられている。ちなみに狩野芳崖の「悲母観音」では手の爪が伸び、足はきれいに切りそろえられているから「十六羅漢図(第八尊者)」の従者とは反対になっているけど。「二祖調心図」(伝石恪筆 南宋時代・13世紀)は、眼を閉じて、寝ているような人物は細やかに注意を払いながら、衣紋が粗筆であるという点は、聞こえない身体と画の関係を考えると面白いかもしれない。石恪の特徴でもあるらしい。この粗筆は影かもしれないけど、折り曲げられた衣服の明暗のグラデーションを示そうとしているようにもみえ、睡眠のリズムに同調しているよう。


ところで右上の印章をみると印章じゃなくて筆で描いたようにも見えるけど、よくわからなかった。朱をつけた筆で飛龍体みたいな(この字体、なんていうかわからないです)のを描いているようにみえた。これ印章なのかな。


その隣には、2人がキャッキャッ言いあっている「寒山拾得図」(因陀羅筆 元時代・14世紀)があって、声を聞きながらとおりすぎていく。

そのあと、東京芸大美術館で狩野芳崖展、東京美術倶楽部では正木美術館展をみていく。狩野芳崖は全貌を紹介するもので初期の作品をまとめてみられたのは収穫。本当に、先人たちの画を大事にしている。正木美術館展はガラスを隔たって展示していないものがいくつかあり、ガラスが取り払われることでグッと自分と対象の間が近くなったように思う。なかなかこういう展示をしているところは少ない。

ところで、僕は人生全体に平穏なんてないと思っているけど、僕の人生では毎年九月になると、必ず大きな出来事あるいは事件といっていいようなことが起こるようにプログラムされているらしい。去年も一昨年もその前もあった。
それで、今年は何事もなく平穏でありますようにと思っていたけれど・・・。やっぱり甘かったらしい、昨日から今日にかけてある出来事があった。たった一日で、いろんなことの変化や事実の理解がめまぐるしくて、戸惑って、今朝は手足がしびれていた(今はもう大丈夫だが)。それは神経麻痺のようで指先がじーんって感覚が鈍感になるような現象だ。こういうのって初めてではなくて、自分の身体と頭の意志がバラバラとなっているときに起こるような気がする。おまけに人前をはばからずに泣いてしまう始末。
昼になっても、気持ちが安定しなかったんだけど、大好きなペリエをゴクゴク飲みながら頭の整理をしたり、普段の勉強をやったら、いつもの感覚が少しずつ戻ってくる、うん大丈夫だろう。もちろん、これで良しとするつもりなんて少しもないけど。
それよりも、時間や距離とかそういうのもひとつの大きな要素ではあるだろうけれど、それ以前に人や物と向かい合うときは試行錯誤ばかりしているような気がする。そんな一日ももうすぐ終わる。さあ、明日も駆け抜けましょう。

2008年 9月 24日(水) 23時07分21秒 晴
戊子の年(閏年) 長月 二十四日 丁卯の日
子の刻 一つ

フランス手話を日本語字幕にすること
2008-9-21(Dimanche)
少し前、といっても今年の2月、銀座テアトルシネマで公開された"Le pays des sourds"という映画について書いたことがある。


この女性の手話は"Paris"と言っているところじゃないかな。キャプチャはここから引用。もっといろいろある → http://www.dvdbeaver.com/film/DVDReviews16/in_the_land_of_the_deaf_dvd_review.htm

その映画の日本語字幕を担当をされた、丸山垂穂(たりほ)さんから直々に連絡をいただいた。
丸山さんからのメールには、僕は以前に「原題"Le pays des sourds"を「音のない世界で」としているのが気に入らない」ことと、「フランス手話を字幕にする上での誤りがある」とこの日記で書いたのを読まれたとあり、それに対するコメントが書かれていた。
丸山さんからのメールをここで公開することはできないが、タイトルは字幕制作者が決めることではなく配給会社の製作担当者か宣伝担当者の範疇であることと、字幕についてはもともとフランス語で書かれた台本をもとに日本語にしていると説明があった。

僕はあの日記を丸山さんに一番読んでほしかった。読んでくれるといいなと思って書いた。それが直々にご反応をいただき、メールを読みながらすごくワクワクしつつも恐縮したのを覚えている。とりわけ、タイトルの翻訳が字幕制作者の範疇ではないことは、自分の無知であったというほかない。

当時を振り返ってみれば丸山さんが決めたのかな、とまでは考えていなかったと思うが、どうして「音のない世界」としてしまうのだろう、聾者たちが生きている空間には音がないのか、自分が普段生活している感覚からして、とてもそうは思えない・・・と考えていた。
日本語タイトルのDVDも出たようだ。



英語圏ではどうやっているかというと、"In the Land of the Deaf"と直訳したタイトルになっている。こっちのほうがまだ納得がいく。


日本で「聾の国」とならなかった理由はなんだろう?(この訳がベストではないけども。)
配給会社からすれば、たくさんのお客さんに興味をもってほしい、そういうタイトルにしたいんだと思う。「音のない世界」というタイトルは一見、興味をかき立てられそうである。
だが、僕の身体から見ると、音のない=聾、としてしまうのがとても暴力的に感じられた。この世の中を生きている人たちが聾者は聞こえない人というふうに心像を描いているのならば、それは僕にとってはたいへん危惧することである。
耳は聞こえないがスピーカーをさわると振動が身体に伝わってくるが、これは音のない世界、なのか? 要するに、フランス語を日本語にしたときに本当はそこに、聞こえる人/聞こえない人の分断というような思想が強く現れていることの必然たる結果として出ているのではないだろうか。

僕が子供のころを話そう。
意味もわからず、病院の聴力検査室でヘッドフォンを耳につけられ、何度も何度も繰り返して電子音を聞くということをしていた。検査技師の女性は、聞こえたらボタンを押してね、という。ボタンを押すと、目の前にある電車がくるくるとジオラマの街並を回る、という仕組みになっていた。
「はい、終わりましたよ。頑張ったね。」と言われ、お医者さんのところに戻ってみると、医者は僕の母に「お子さんの耳ですが・・・」というようなことを結果のグラフを見ながら言っているらしい。親はじっとそれを聞いている。よくそういうことがあった。
でも、あるときにこんなことがあった。聴力検査室でヘッドフォンを装着され、音が聞こえてくる・・・はずが、ヘッドフォンが震えていたのだ。今思えば、たぶん低音が大音量で出ていて、それがヘッドフォンと僕の皮膚の接合部でふるわせていたのだろう。
このとき、ボタンを押すべきか、押すべからざるか?(そういえばハムレットは"To be or not to be, that is the question"と言ったね・・・。)
僕は音がきこえないのか?永遠の一瞬のように感じられた実験で、よく覚えているのだが、検査技師が「聞こえる?」とたずねてきたとき、ヘッドフォンを触りながらついこう答えてしまったのを覚えている。

「あのね、あのね・・・震えているよ」

検査技師がこの答えに対して、検査表にどう記入したかは知らない。
しかし、この聴力検査の、この仕組みの延長に配給会社の人が聾者と社会の間をイメージして、「音のない世界」という翻訳を作り出しているロジックとなっているのなら、それは僕にとってひどく違和感を感じるものになっている。
逆にそういうイメージが、聾者自身に「私は音がきこえない」「私は音がきこえない」という像を植え付けてしまってはいないのだろうか。杞憂だろうか?

次に手話表現と日本語字幕の内容があっていないところがある、と書いたことについてだが、丸山さんはフランス手話を理解できないとのこと。したがって手話をみて翻訳はしてはおらず、フランス語になった台本をもとにしているとのことだった。だから重訳になっている。でも、これは何もこの映画だけの問題ではなく、人口の絶対数の少ない言語で作られた映画についてはつきまとう問題であることは、丸山さんからご教示いただいた、太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)という本でも指摘されている。この本のp86-87に「わからない言語をどうやって翻訳するか」という部分があって、用意された台本をもとに字幕を作ることがあることを書きつつも、誤訳の危険性が高いのだという。そこで太田さんは、専門家の意見をききつつ字幕を作るか、専門家が作った翻訳をもとに字数などを要約するという対応をしているのだが、しかしながら専門家の翻訳は字幕にそのまま流して使えるわけではない。ハコ書き(音声を聞きながら台本の台詞を区切る)、スポッティングリスト(時間配分を考える、ふつうは3〜4秒だそうだ)などルールを知らないからだろう。
太田さんでも配給会社の都合や〆切の関係、そういう専門家がいるか、という点で毎回そういうことができるわけではないようだ。だから、僕としてはフランス語の台本にどう書いてあったかということが気にはなった。フランスで台本をつくった人はおそらくフランス手話の通訳もできる人なのだとおもうが、誤訳があると思われる点がうまく理解できない。
専門家、といってもフランス語を話す日本人はたくさんいるのに、フランス手話をやっている日本人は少ないし、どこにいるかもわかったものではない。これは正直、僕をふくむ聾者たちの責任でもあるような気がする。
そういえば、清水俊二『映画字幕の作り方教えます』では、キューブリック監督は「フルメタル・ジャケット」の日本語字幕を英訳に戻して、これではいけない、とやり直しさせた有名なエピソードをとりあげつつ、字幕の限界について書いているところは面白く読んだ。

いろいろ書いたが、要するに"Le pays des sourds"はそういう意味で個人的に意義深い作品だから、聾者たちはこれをどんどんみるべき。去年出た映画『バベル』よりはずっと見るべきものだろう。

2008年 9月 21日(日) 19時22分32秒 曇後雨
戊子の年(閏年) 長月 二十一日 甲子の日
戌の刻 一つ

みかける、ということ
2008-9-17(Mercredi)
護国寺で東京カテドラルをみる。
建築系らしい人たちが何人かいる間、ちらりと周囲を見渡していると、床の走り(石の並べ方が礼拝堂に並ぶベンチの向きと角度が違っている。扇形のように左右にひろがっていくようなラインをしていて、でも空間は礼拝堂や天井にすっと凝縮していく。

そういえば、8月に藤村龍至さんの事務所が設計したBUILDING Kをみかけた。僕はこの建築の模型を去年、青山であった藤村さんの展覧会で見ている。といっても、ここにあるとは全然知らなくて、近くにある都丸書店という結構知られた古本屋を訪れる途中で知った。実物を目前にすると本やネットで見るのと全然印象が違う、そりゃあ違うだろうと言われるかもしれないが、藤村さんのブログをみると、五十嵐先生とこんなやりとりがあったらしい。
http://www.round-about.org/2008/08/post_61.html

「その翌日、五十嵐太郎さんをご案内@BUILDING K。「周辺の写真って見せてないよね」と言われる。確かにアイレベルの写真はあまりプレゼンテーションしていなかった。」

五十嵐先生のご指摘は確かにその通りでいろんな人がブログでこの建築写真をのっけているし、本でもみているのだが、アイレベルというのがない。いずれも見上げているとか、写真の中心にその建築がきているとか、あるいは見下ろす、というものになっている。どうしてなんだろう?確かにその感触が「いい」というのはわかるんだけど、それが建築写真かというと違う。もっと汚いというか、垢染みたというか、現実に戻されるようなものが建築写真なんじゃないのだろうか。五十嵐さんが指摘しているアイレベルというと、通りからみた感じはこういうものになっている。



この写真で、右にあるのかそのBUILDING Kだが、僕の意識は道路にあって、電柱やネオン、自転車で走る人がはいっている状態。そうなるとBUILDING Kはどう見えてくるんだろうか。「おや?あれはなんだ」という感じが僕は最初にあった。巨大な土筆のようなものがまとまってニョキニョキ生えているような印象。去年の展示会を見ていなかったら、きっと藤村さんのお仕事とは気付かなかっただろう。
それと写真で手前にある「青木書店」は全集や美術関係などで幅広くやっている本屋さんらしいが今もやっているのかな。すぐ近くにある都丸書店できけばよかったんだけど忘れてしまった。



上の写真は反対方向から。この道をまっすぐ行けば高円寺駅がみえる。駐車禁止のためなのか、BUILDING Kの前にポールが立ててある。その横に木が植えてあったのだが、これはどういう意味があるのだろう?設計プランでこの木はどのように計画されていたのだろうか。木があるのとないとでは、一階に対する驚きも変化してくるように思える。
内観を拝見していないのであまりあれこれ言える立場ではないのだが、ファサードに限定していうと当日は8月の曇りだったせいか、藤村さんの個展で展示されていた模型で感じられたようなメリハリ感のある凹凸ではなかった。さっき、土筆と書いたけど、模型ではもっと分離されているようにみえた。色や知覚の問題に置き換えてみたうえでのこの「差」というものに興味がある。一階をみると、テナントが入っておらず、空洞になっているが、テナントが入っていくとどう見えていくかも興味があるところ。



一階のテナント部分に部屋の案内が掲示されていた。本当は平面図もあわせて展示されていたが。ちなみに、部屋はまだ空いているようだ、ぼちぼち全部埋まるだろうが、値段としては高め。二階が全部空室という点がおもしろい。
この他、物件の平面図をすべてパネルにして見せていた。

みかけた、といえば国会図書館の新聞資料室で明治期の新聞をみていると、盲唖学校で試験を行なうという記事の横に大久保利通の奥さん(大久保満寿子)が亡くなったという記事があったりして、時代というか、幻ではないもの、リアルなものがぐっとくる。そのような時間感覚がくると、僕の目には試験と大久保利通の奥さんが交錯してきて、自分の脳裏に強く焼き付けられるようだ。このふたつの事項は関係ないなんて考えてはいけない・・・。

2008年 9月 17日(水) 00時28分28秒 曇時々雨
戊子の年(閏年) 長月 十七日 庚申の日
子の刻 三つ

季節外れの雪だるま
2008-9-12(Vendredi)
前回に「おもしろいものがあった」と書いたけどそれについて今回書いてみようと思う。ちょっと暑さがぶり返してきたような季節になったので出そうかと思っていたし。

それが雪だるまのイラストなんだけど、別の目的があって、明治31年の京都日出新聞を閲覧していたときにみかけた新聞小説の挿絵。ごらんのように現在のような雪だるまと違って、達磨らしい造形になっている。



現在は頭と胴体を球状にして重ねているだけなのだが、明治時代の雪だるまはこういうイメージだったのだろうか。確かに思い出してみれば、現在のは達磨らしくない。
ところでThe Library of Congressや国会図書館のデジタルライブラリーで他の雪だるまがどのような造型だったかをみてみると「達磨」をイメージさせるものになっているのがおもしろい。例えば、明治25年刊行の『雪達摩』饗庭篁村の表紙は以下になっていて、達磨の造型が垣間見える。鼻までちゃんとつくってあり、人物であるという感じがくっきりしている。



次は明治38年の『雪達磨』村上浪六の表紙より。球状というよりは頭と胴体がくっついているのは同じだが、鼻が消えている。あと目と口が現在でもみられるような造型か。



明治42年の『尋常小学画手本 第1学年用』東京市教育会編 坂上育英舎では、以下のようになっていて、脇に達磨らしいイラストがある。なんだかオバケのQ太郎みたいな感じ。



時代は変わって大正に行くと、大正7年の『尋常小学国語読本解説 巻2』帝国教育会編,南北社出版部がヒットした。
大きさとしては子供よりやや大きく、ちょっと口を結んでキッとしている感じ。(2)に達磨が添えられているのがやはりこの時代も達磨のイメージが強いのか。



とここまでが国立国会図書館デジタルライブラリーで調べられる範囲のようだ。このあとは絵本とか調べないといけないけども。
それとは別に、大正12年の『ドイツ小学読本 第1学年』安藤正次訳 大久保町(東京府):世界文庫刊行会 では以下の図版がある。あいにくイラストは誰なのかわからなかったが、こちらでは足まである。海外のスノーマンのようなイメージが大正にすでに入っていることがわかるのだけど。
ちなみに文章ではゆきだるまは動けないから可哀想だと書いてある。



The Library of Congressもみておこうか。
いろいろあるけど、年代をしぼると日本で作られた1858年の版画があるようだ。鼻はあるね。



などなど、簡単に検索してみた例をあげてみたけれど、もっといろんな絵画からも見出せるだろうし、『ゆきだるまのイメージ史』というのも面白いかもしれない。僕だったら、たぶん国語教本で雪だるまを作った子供たちで「耳はどうしましょうか」「耳はいりません」という会話例が掲載されていることがおもしろく、耳がないことや感覚の問題まで引き上げようとするだろう。
何よりも、なぜ「ゆきだるま」という概念があるのかということを考えないといけないけども。

2008年 9月 12日(金) 14時35分44秒
戊子の年(閏年) 長月 十二日 乙卯の日
未の刻 四つ

ザビエルの手
2008-9-10(Mercredi)
国会図書館に行く途中、永田町で小池百合子氏とすれ違う。総裁選の関係なんだろう、10人ぐらいのマスコミに囲まれながらローソンに入っていったが、秘書らしきものもおらず、一人で囲まれていた。そのまま立ち去ったが、あとのテレビによれば森喜朗事務所を訪問されていたようだ。
8月にまったく行けなかった国会図書館でいろいろ調べものをする。おもしろいものがあったのであとでアップしたい。

先日も書いたが、訪れた神戸市立博物館(桜井小太郎(1870 - 1953)・竣工1935年)は横浜正金銀行神戸支店から1982年あたりにリノベされている建物で、神奈川でいえば、横浜正金銀行が神奈川県立博物館になったのと同じで、いずれも銀行から博物館と用途が変更されたパターン。まてよ、これをよく調べたら限定されたリノベーションについて書けるかもしれないな、と思いつつ。
すぐ近くにはストロングビルディング(竹中工務店・新建築200604)があるのに気付く。ファサード部分がこのように細長いガラスを交互にはめころしていくデザインになっていて、最初みたとき目のピントがあわなかった。それよりもガラスに映る外観が切断されていくあたりがおもしろい。


先日の神戸市立博物館で見た聖フランシスコ・ザビエル像(http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/043.html)の手はフェルナン・レジェのよう、と書いた手だが、このように組まれている。

僕の目にはフランス手話の"aimer"(愛する)という古い表現(19世紀中期)のようにみえる。まあ、フランス手話は修道院の身ぶりとの相関がいわれているので、そんなに驚くほどではないが、ある人の身ぶりの先に手話がみえてしまう。それにしても、下の画像は目が上目づかいになっていて、恍惚というか表情の真似をすると気分が変わっていくというか。



それと、一階には外国人による写真コレクションが展示されていたのだが、たまたま「プール学院」の旧校舎という、現存しない建築の古い写真が展示されていた。交差点にあたるところを45度にカットし、入口とするファサード。

2008年 9月 10日(水) 09時45分58秒
戊子の年(閏年) 長月 十日 癸丑の日
巳の刻 二つ

過ぎ行く夏
2008-9-1(Lundi)
しばらく間があいてしまいました。

8月にあったこと。
横浜市立大学医学部の集中講義が終了する。だが、それとともに東京外国語大学で言語研修がはじまるため、平日は東京外国語大学に出かけなければならない。夜は研究の進行に没頭し、土日は何かの予定があったりして、連日帰宅が遅くなっていた。

たまたま、美術史の木下長宏先生とたまたまご一緒して「五姓田のすべて」(神奈川県立博物館)をみる。人物像で、背景をまったく描いていないことや、肌色の裏地に白を塗りこめているあたり。これは若冲もやっていることだけど。長広先生とある先生が病床にふせっておられるという話をする。お見舞いに行きたいが、周囲の話をうかがっていると、あまり人には知らせないようにしていることを知り、お見舞いは遠慮したほうがいいかもしれない。

月末、京都へ。盲学校で史料読みに没頭する。
昨日、岡田温司先生ご主催のフォーラムに参加する前に念願の京都国際マンガミュージアムを訪問。
地下室は書庫をガラス張りで見せている。五十嵐太郎先生がいつだったか、日記で書かれていたが国際マンガミュージアムは地下室のガラス張りの書庫をみせるような展示がいいと書いておられたのを思い出した。ただ、動線が直線だけというのが少し残念だ。もし、90度に折れ曲がる動線でみせるものだったら、書庫の奥行きも実感できたかもしれない。
学校をリノベした空間はわるくなく、学校らしい小さな階段があるのもよい。
「少女マンガパワー」という展覧会をみる。
とくに恐怖漫画のコレクションに目を通す。木内千鶴子、峯岸ひろみ、牧美也子や「花」「ゆめ」といった少女雑誌が気になる。チラリと見たが、わたなべまさこ『聖ロザリンド』は面白そうだ。ちなみにこの展覧会は、原画の複製が多かったのだが、その状況を説明しているビデオによれば、原画を360dpiのスキャナ(メーカーはわからなかったが、A3サイズもスキャンできるようなものだったと思う)にかけ、フォトショップで原画と比較しながら色の修正を行うのだという。そしてEPSON MAXARTシリーズで印刷、という流れになっている。
色の修正については原画に合致するように努めているとあったが、なんだかな・・・。

京都大学、岡田温司先生の若手研究者フォーラムへ。


司会:郷原 佳以(関東学院大学・専任講師)

<第一部>
乾由紀子「イギリス炭鉱写真絵はがき:研究の内容とプロセス」
高松麻里「王の死の荘厳:狩野内膳筆『豊国祭礼図屏風』をめぐって」
野田吉郎「Ambarvalia(あむばるわりあ)で芸術を指差す――西脇順三郎の詩と詩論」

<第二部>
武田宙也「フーコーにおけるイメージと政治」
荒川徹「連接的自然──後期セザンヌとホワイトヘッド」
宮崎裕助「パラサブライムについて──カント崇高論の臨界」

郷原さんが司会で、うまく手綱を緩めたり、引き締めたりされていた。皆さんの発表、たいへんおもしろかった。

乾さんは、絵葉書の発表。もととなっている『イギリス炭鉱写真絵はがき』
http://www.amazon.co.jp/dp/4876987335
その編集者、佐伯かおるさんもみえておられ、飲み会で出版に至った経緯など話をうかがう。頁の左上に絵葉書の写真がパラパラのように全ての頁で展開されていることや章の冒頭に調査日記や関係者とのメール内容を一部公開しているが、それも示唆にとんでいる。
炭坑における障害者の絵葉書はごらんになったことがないのだそうだ。乾さんがそうおっしゃるのなら、ないのだろう・・・。聾学校の絵葉書はあるけどね。

高松さんの発表は、一番楽しみにしていた。
太田牛一のテクストを使うと予告されていたのだが、僕が知っているのは、復刻されている「たいかうさまくんきのうち」だけで、高松さんが引用されたテクストは初めてみた。これはどこで見られるのだろう?
それはさておき、高松さんもご指摘しておられたが、豊国祭礼図屏風において、聾者が描き込まれているというあたりについて尋ねてみると「物イワズ」が太田のテクストに入っているが、絵柄からはわからないと思うとのことだった。
自問すると、どうして僕はこの屏風から聾者を見出そうとするんだろう?確かに岡本先生がそう書いているのを知っている。
その屏風にかぎらず、洛中洛外もたくさんの人がいる。そのなかに聾がいるのか、とつい探してしまう、と高松さんに言ったのだけど、それはそんなに問題ではないかもしれない。つまり、「聾」「物イワズ」が<全体>に組み込まれていると考えるのは難しいだろうか? ぼくのように受容側の問題なのだろうか?つまり、僕の意識下から「聞こえない」ということが表出されたまま、屏風の前に立つと、絵のなかにふっとみえてくるのか?それはおそらく、多くの人物たちのなかで聾のような、そういう存在を嗅ぎ取った瞬間に受容者である僕がその人に乗り移るイメージ。
「嗅ぎ取った瞬間」と書いたが、これを別のたとえをすると、街を歩いていると聾者のような身振りをしている人物に出会うことがある。結局、聾者ではなかったのだけど、手のかすかな動きや表情のなかに、聾者じゃない人に潜んでいる「聾」の性質を僕がみることがあって、屏風のなかでも同じように見ようとしてしまうのかもしれない・・・。

野田さんの発表は、西脇の詩についてだった。あいにくお話できなかったが、もし、僕が野田さんとお話をするなら、「彫刻は動く、なぜなら我々が動いているからだ。」と高村光太郎が書いていることから始めようとするかもしれない。レインボーシートという、プリズムが織り込まれているフィルムを目の前にかざすと、目の前が一気に分解されて、レインボーを帯びるようになるのだが、そのあたりにも言及したいなと思う。当初、どんな発表だろう、とおもっていたが、最後は本の装丁まで言及されていて丁寧な発表だった。
気になる、というか、些細な疑問をいうと、野田さんは、本の装丁について「紋章を指差す」という言い方をしていたが、僕の目には、紋章が下にあって、手が上にあって、正確にいうならば「紋章を上から指差す」に見える。手の形態が、曲がっていて、下に運動しているように思えるからだ。微小なことなのだとは思うが・・・。
高松さんとのお話で「僕は詩が読めない」と発言されていたのが面白いと思った。

<休憩> 郷原さんにあいさつして、岡田先生に最近の口頭発表の原稿をお渡しする。厳しいコメントが返って来るだろう。
先生から「ぜひ質問してください」といわれ、質疑のときに問いを投げかける。

武田さんのフーコーと鏡。武田さんの表情をみると、かなり悩んでおられているような感じがした。武田さんの話をうかがっていると、フーコーがポワチエ生まれということと重ねて、写真のように、ポワチエ盲唖学校のパンフレットに写っている教室に聾児の発音教育に使われていた鏡をとりあげた。



聞こえない人に対するセルフイメージと権力について質問したのだが、武田さんの反応が希望するものではなく、とっぴなことを言ってしまったなと。武田さんに申し訳ない。

荒川さんのご発表はセザンヌとホワイトヘッドについて。「自然」「時間」「単位」が重要なキーワードとして出ている。スライドでセザンヌやホックニーの絵が出てきて(ホックニーを贔屓にしているので、にやりとしてしまったのだが)、長時間露光、遅延効果といった「持続」について話されていた。
ここで武田さんのパートに戻る必要があるのではなかったか。宮崎さんとも飲み会のときにお話したが、鏡は自己を写すとはかぎらないのではないか。主体の消滅とまではいわないけれども。光学的に、鏡は自分とまったく同じ時間に同時に動くのだろうか?荒川さんの言葉を借りると、きわめて、きわめてミクロな単位で鏡の中の自分が遅延しているのではないか。光は一瞬ではないから。微妙な、私たちには到底気付かないズレが発生している。
それをわかりやすくいうと、たとえば、志村けんの鏡をつかったパフォーマンス。志村が鏡にうつっている自分(本当は他の人)に対して、ポーシングをしたり、ボール遊びをしたりして、鏡にいるもう一人の自分を慌てさせるというのがあった。もし、武田さんと荒川さんの間で僕が話すとすれば、志村けんを持ち出すだろうが、あまりにも極端すぎる例なので言わなかったんだけど。
自分の感覚でいうと、鏡の前で手話をしたり、発音訓練をしている自分はとても奇妙な感覚がある。

アンカーの宮崎裕助さんの造語、「パラサブライム」について。これはどういうものなのか・・・どういう言葉で話をされるのか。というのは、SITE ZERO/ZERO SITEで知って以来、宮崎さんがどんな人なのか関心があったからだ。
パラサブライム(parasublime)という言葉を産み出した背景に、デイヴィッド・キャロル『パラエステティクス』があるというのはおもしろかった。カントの時代、戦争とはどういうものだったのだろうか。兵器、戦術との関連を僕は見出そうとするのかもしれないけども・・・。宮崎さんもおっしゃったように、現代と18世紀の戦争は違う。その違い、つまり野田さんのコメントを借りると、「過去のイメージをどう取り扱うか」ということになるのではないか。

発表後の討議、質疑応答。岡田先生がひとりずつコメント。柳沢田実さん、大橋完太郎さんが聴きにみえ、鋭い質問が飛ぶ。柳沢さんの話しぶりは、リズムやモチベーションが高まると、手ぶりが大きくなるのがなんとも手話的というか。
ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』を訳された竹内先生もみえていることを教えていただいた。お話しさせていただく機会がなかったのが、心残り。

飲み会の席で、岡田先生から橋本綾子先生が急逝されたという訃報をきかされる。橋本先生は、1967年に大乗寺の論文を書いている。橋本先生は最近だんなさまに先立たれ、お忙しいのとご心労もあるとみえ、お会いするのは先生が落ち着かれてから、と文通を何通か重ねて考えていた矢先の出来事だった。
当時の観覧ルートや説明の内容、当時の住職のことなど、いろいろおたずねしたいことがいっぱい、いっぱいあったのに・・・。
橋本先生は岡田先生に「あの人は何者か?」と電話していたことを岡田先生から伺い、橋本先生も僕がどういう人なのか、気になっていたようだ。
ああ、悔やんでも悔やみきれない。落胆しつつ寝床にはいる。

翌朝、京都にいくと必ず京都国立博物館にいくのだが、今回の展示はすでに今月頭に訪問したときにみてしまっていたのでパス。
ということで100回目記念の展示会をしている神戸市立博物館にでかける。ちょうど知人も行かれるとのことで、待ち合わせをしたのだが、ちょっと僕が早かったので先にみていく。

昨日、高松さんのご発表をうかがい、お話しぶりから南蛮屏風にご関心がおありだろうな、と思いつつ屏風のところに行くと、そのご本人が熱心にごらんになられていたので、びっくりする。屏風の前で集中されているので、迷惑ではないかと思いつつも声をおかけする。
知人が下にいたので高松さんのところに案内する。高松さんと屏風の角度と空間性について筆談をしているときに、知人の先輩という方もみえられた。なんでも文章で高松さんのことを存じ上げていたらしい。高松さんと三人で話がもりあがったので、僕は屏風をみにいく。
その南蛮屏風は例えば建築的には左隻にある館の屋根の素材がよくわからないのがおもしろい。瓦の感じではなく・・・大理石のようなニュアンスがする。その隣にある、六角堂のような(法隆寺夢殿のような)建築のキリストは沈痛、憂鬱のような色彩で描かれ、十字架との対比がくっきりと浮んでいるが、これが、狩野内膳が考えた「苦痛」のイメージなのだろうか?
それから、暖簾から身体をのぞかせている人物の足袋は興味深い。透明な足だと見間違えそうだ。
フランシスコ・ザビエルの画は、小学校のときに見たことがあるが、実物は意外にもはじめてみた。神戸にくることそのものが初めてなのだけどね。ザビエルの手は、フェルナン・レジェのような気がする。それと、平賀源内の油彩画は、体の向きがとても曖昧で、左と右どちらが胸なのか。まあ、アクセサリーの雰囲気からして、左を向いていると思われるが。
・・・いろいろ取り上げたい作品はあるが、このあたりにしたい。

神戸市役所の展望台で建築群をみて、神戸の地理をつかんでいく。
横浜に戻って、少しばかり休息して怒涛の8月はおわり。また新しい一日がはじまる。

2008年 9月 01日(月) 00時01分34秒
戊子の年(閏年) 長月 一日 甲辰の日
子の刻 三つ

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