tomotake kinoshita old journals

 

2008-07 journals

野口英世の左手
2008-7-27(Dimanche)
もう終わったが、上野の国立科学館で野口英世展をみる。
http://www.kahaku.go.jp/event/2008/05dr.noguchi/index.html
三ツ和尋常小学校時代の大試験成績表(明治21年3月)があって、これによれば野口は体操を免除されている、むろん左手を火傷したためであろう。それを除いた平均点は学年トップを通していたという史料。よくこういうのが残っているね。
写真史上では、日本人ではじめてカラー写真に写った人物らしい(大正3年、ゲーツ博士の別荘にて)。カラー写真でみる野口は、肌白でもの柔らかそうな雰囲気があった。
それからもうひとつ、すべての写真で手を後ろに回したり、帽子などで覆ったりして、左手がみえないような身ぶりをしているのが印象的。どれひとつとして、左手をみせている写真がない(上野公園には野口英世の銅像があるが、それをみても左手はよくみえない)。手に対するコンプレックスや感情があったのだろうかと思いきや、明治43年6月6日撮影と付された猿のトラコーマ検査写真で野口の左手がクローズアップされているのがみえる。キャプションにも「珍しい写真」とあり、確かにその通りだが・・・この手のかたちは、なんというか、ル・コルビュジェがシャンディガール(Chandigarh)で建てた手のモニュメントみたいな形態とでもいうか・・・いや、違う。もっと手の先が手首に向かってひしゃげていたような感じだった。もっとも近い手を挙げろといわれたなら,ピカソの描く手か。奇妙に歪んだ手、どれが指でどれが手のひらなのかそれすらもわからない左手を野口はしており、気付いたら写真をノートに模写していた。
野口の母シカが書いた手紙も公開されていた。困窮している様子を息子に訴えている内容で、「はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ」とリフレインのように響く声、「これのへんちちまちてをりまする」「ねてもねむられません」と濁点のない素朴な書体の手紙。ちなみに野口はこれをみてたいそう驚いたらしく、すぐ帰国している。とはいえ、野口が借金をしていた時代にお金を貸していたものにとってはどういうイベントであったろうか。ある著書によれば、遊郭で遊びまくっていたという頃もあったそうだが・・・。
野口の死亡診断書には"Duration of illness : 11days"とあった。
「發見王 野口英世」渡部毒楼(大正10年、http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000579378/jpn)に目を通した野口は「完全でありたいとは思わない」ともらしたらしい。野口生前から立身出世のストーリーが組まれていたことは興味深い。

2008年 7月 27日(日) 23時45分32秒 晴後曇
戊子の年(閏年) 文月 二十七日 戊辰の日
子の刻 二つ

『國華』は先か後か
2008-7-21(Lundi)
今、東京国立博物館で「対決−巨匠たちの日本美術」があっているけど、展示リストには出品物が『國華』の何号に掲載されているのか記載されていない。
そこで調べてみると、以下のようになる。リストをみればわかるように、すべての作品が『國華』に掲載されたことがあるのではなく、掲載されていない作品もある。仁清 vs 乾山、円空 vs 木喰はすべての作品において掲載が皆無。
とはいえ、作品を見る前に『國華』でどう書かれているかを読むのはやめたほうがいい。「裸の眼」とまではいわないけど、経験上、作品を自分の眼でみてから『國華』でどう論じられているかを読むほうが自分の考えとの違いがみえてくると思う。美術をみるときは何も考えないほうがよくみえる。

ナンバー 作品名 作者 國華掲載号
4 雪村自画像 雪村周継筆 859
5 慧可断臂図 雪舟等楊筆 700 1276
7 梅下寿老図 雪舟等楊筆 111 1275
8 呂洞賓図 雪村周継筆 109
9 秋冬山水図 雪舟等楊筆 970 1276
10 風涛図 雪村周継筆 134
11 四季花鳥図屏風 雪舟等楊筆 970 1276
14 檜図屏風 狩野永徳筆 778
15 松林図屏風 長谷川等伯筆 814 900
17 花鳥図襖(梅に水禽図) 狩野永徳筆 1012
18 洛外名所遊楽図屏風 狩野永徳筆 1331
19 萩芒図屏風 長谷川等伯筆 1206
20 四季柳図屏風 長谷川等伯筆 1343
21 黒楽茶碗 銘大黒 長次郎作 865
30 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 190
31 鹿下絵新古今集和歌巻断簡 本阿弥光悦書・ 1074
32 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦書・ 1090
33 風神雷神図屏風 俵屋宗達筆 192
34 風神雷神図屏風 尾形光琳筆 57
35 松図襖 俵屋宗達筆 1106
36 槙檜図屏風 俵屋宗達筆 958
38 蔦の細道図屏風 俵屋宗達筆 492
40 竹梅図屏風 尾形光琳筆 868
41 秋草図屏風 俵屋宗達筆 1353
42 菊図屏風 尾形光琳筆 1302
44 扇面散屏風 俵屋宗達筆 280 357
69 十便帖 池大雅筆 271 344
70 十宜帖 与謝蕪村筆 271 344
71 楼閣山水図屏風 池大雅筆 528
72 山水図屏風 与謝蕪村筆 1332
75 竹林茅屋・柳蔭帰路図屏風 与謝蕪村筆 537
77 児島湾真景図 池大雅筆 766
79 新緑杜鵑図 与謝蕪村筆 892
80 鳶鴉図 与謝蕪村筆 890
81 夜色楼台図 与謝蕪村筆 1026
83 群仙図屏風 曽我蕭白筆 905
84 石灯籠図屏風 伊藤若冲筆 1177
87 鷹図 曽我蕭白筆 39 1324
88 雪中遊禽図 伊藤若冲筆 1067
89 唐獅子図 曽我蕭白筆 952
91 虎図襖 長沢芦雪筆 866
92 保津川図屏風 円山応挙筆 95 154
94 三美人図 円山応挙筆 681
95 山姥図額 長沢芦雪筆 263
108 妙義山・瀞八丁図屏風 富岡鉄斎筆 1250
109 富士山図屏風 富岡鉄斎筆 1250

2008年 7月 21日(月) 15時27分42秒 晴 真夏日
戊子の年(閏年) 文月 二十一日 壬戌の日
申の刻 一つ

プール学院
2008-7-17(Jeudi)
僕は百科全書の類いが好きで、辞書を開かない日を探すのが難しいほど。なにか気になることがあればすぐ辞書をひらいてしまう。子供のときから変わらない習慣である。かといって、辞書をみたらウワーってかけっこみたいに走ってしまうのだが。
その僕が近頃、熱望しているのは、大槻文彦や物集高見が編纂した辞書や国史大辞典を電子辞書にしてくれないかということ。あいにく『広文庫』は持っていないのだけど。そんなとき『手話でいこう: ろう者の言い分 聴者のホンネ』
http://www.amazon.co.jp/dp/4623042545
という本を図書館で借りて読む。ちょっと前に聾者のあいだで話題になったエッセイだが、まだ読んだことがなかったので一気読みしてしまいましょうか・・・とページをめくり始めたら最初に著者2人の自己紹介があったのだが、聾者の秋山さんは大阪にあるプール学院という学校の出身とあった。もちろん、Pool(泳ぐ「プール」)の意味ではないはずで、どういうところからもってきたのだろう。
そんなとき僕の脳裏にひらめいたのは、ウィリアム・フレデリック・プール(Poole)というアメリカのビブリオグラファー(もう一人、ギャングでウィリアム・プールという人がいるけど、別人だ)。そのプール氏は司書なのだが、雑誌の記事索引を作った人としてしられる。こういう記事索引のおかげで研究者や何か物好きな人が社会の一部を俯瞰できるようになった、ということは大きい。その索引一覧表に触発されるという意味でガブリエル・タルドとの関係もみえるのではないか。プール学院ときいてプール氏を思いだしてしまい、そこから記事索引・・・と発展していく。
あ、たぶんプール学院とプール氏は無関係なんだよ。きっと。地名か行事名とかなんだろうね。

ところで、HP 2133 Mini-noteというパソコンが最近かなり気になっている。
http://h50146.www5.hp.com/products/portables/personal/mini_note2133/
ヨドバシカメラで触ってみたのだが、これがじつによかった。とくにフルキーボードという点が僕の評価を高めている。小さいキーボードはあんまり打つ気がしないので・・・。と言っている僕はMacしか使っていない人間なのだが、こういうようなちょっとしたことに使えるミニノートってMacにはないからな(ちょっと前にアルミのpowerbookがでたが)。Macからもこういう、Macbook Airをもっと小さくしたパソコンを出してほしいのだけどiPhoneが出ている以上、無理かもな。
その他、デルからもDell Eというシリーズが今年中に「出る」らしいのでそれを待ってからでも遅くはあるまい。

横浜の大桟橋あたりに行った時、小泉雅生先生による象の鼻地区をみる。来年竣工する予定なのだそう。
http://www.city.yokohama.jp/me/port/general/zounohana/plan_zou/

下の写真、ショベルがあるあたりは象の鼻防波堤というらしいが、埋め立て中だった。これからグングンのびてゆくのだと思うが、想像以上に大桟橋が近くにみえる位置だ。


下の写真は手前の直角、直線がヨット停留場でその奥にある緑っぽいのがオープンスペースのあたりか。写っていないがすぐ後ろに横浜税関(クイーンの塔)がある。
手前の架橋のピロティが結構密な感じで左右が遮断されているような印象を受ける。計画書によればこれは動線として設定されてはいるようだけど、始点である山下公園から終点の赤レンガ付近まで歩くとすれば結構な長さになってる。おそらく途中で下に降りたりすることもできるのだろうけれども。



2008年 7月 17日(木) 01時02分19秒 晴
戊子の年(閏年) 文月 十七日 戊午の日
丑の刻 一つ

護国寺には高密度の空間がある
2008-7-11(Vendredi)
護国寺へ。近くにお茶の水女子大があるせいか女子大生らしい人たちとすれ違いながら歩く。途中で曽禰中條建築事務所の講談社ビルディング。やはり列柱に目がいく。円柱と角柱があるが、円柱はエンタシスを施している気がする。それと、角柱と書いたが、これは非柱で壁を彫り込んで柱としているだけ。でも、これがあるおかげでファサードが豊かになって、エントランスがひろびろと感じられる効果がある。
さて、このあたりの建築といえば、東京カテドラルや菊竹清訓先生のスカイハウスと建築設計事務所がまず挙げられるのではないか。いろんな人がいろんなことを書いており、僕がいうまでもないのだけど。カテドラルは最近改修工事を完了させたばかり。
http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/daikaishu/daikaishu.htm
ただ、カテドラルのテクチャーをみるとステンレス板のラインは視線の走らせ方が自動的に制御されそうなものがある。ボカノウスキーの『天使』という映画で、彫刻っぽい天使の背景を階段のようなものがササーと走るシーンがあるんだけど、それに近い感覚が蘇ってくる。
下はそのテクスチャーは見えないが、鐘楼とカテドラル。ちょうど夕陽がさしこむ時間でステンレスに反射光がみえている。



ところで、これらの建築がある護国寺で、建築を専門とする人が見落としている建築があるのではないかと思う。それが東京で一番古い盲学校、筑波大学附属視覚特別支援学校。これもスカイハウスのすぐ近くにあって、明治初期まで辿れるたいへん古い学校。ここの資料室がおもしろい。



↑の写真は一般公開している資料室でひとつひとつの史料でフリードリヒ・キットラーやジャック・デリダを思いださせる、豊かなものがそろっている。
でも、ここの他に未整理の部屋があって密度が圧巻だった。みっちりと史料が山のように積まれ、ほこりっぽい匂いとともに暗い色をしている本棚の隅に黒く日焼けした本がずらりと並んでいる。先生の計らいでみせていただく。ドイツ語、フランス語の書籍を。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のレアバージョンも。たしかに滝沢馬琴は途中で目がみえなくなったからね。戦前の資料は未整理なところも多いものの感覚の問題を考える上、大変興味深いものがそろっている。
いうまでもなく東京カテドラルや菊竹先生の建築空間はたいへん重要だが、忘られたとまでは言わないがこの盲学校の空間をもっと評価すべきであろうに・・・。

あ、盲といえば、映画『盲目ガンマン』というのがある。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000SKJ0O4/
完全に盲で周囲の音に敏感という感覚世界、独自の戦い方をするあたりがとてもおもしろい。しかし、やっぱりというか盲ではありえない身こなしをみせるシーンもある。この映画は分類上ではマカロニウェスタン映画なんだけど、わかる人はわかるよね。そう、アレなシーンもあるんだよな。

2008年 7月 11日(金) 00時53分44秒 晴
戊子の年(閏年) 文月 十一日 壬子の日
子の刻 四つ

夏のカツ・カレー
2008-7-8(Mardi)
・先週金曜日、日本社会事業大学にて講師として電送写真論について講義。電送写真っていうのは、電気で送られた写真という意味。写真をファクスするイメージでしょうか。その機器は現代のと全く違っている。
たとえば、19世紀フランスで使用されたファクスは以下で現代とは全く違った形態をしている。どうしてこの形なのか、といったことを解説。



写真論のジェフリー・バッチェンが19世紀中期の写真家、トールボット「フォトジェニック・ドローイング」を引用しているあたりはとくに参考になる論文で、それをベースに論考を展開しました。
日本が戦争に向かっていく頃に無線による電送写真があって、荒いノイズが入っていたりするんですが、



このノイズが芸術にあたえた影響として何人かのアーティストと作品を引きつつ述べました。
といった話はもともとここのWorksでいう、『イメージ送信をめぐる権力』(仮)という考えから来ているのですが、ようやく発表するチャンスがありました。機会をあたえてくださった森先生、斉藤先生、そして榑沼先生に感謝します。

・なぜか無性にカツカレーを食べたくなる。カレーは家でもよくつくるけど、カツはちょっと面倒なんだよなあ。そういえば、友人の結婚式出席のために訪れた長野で食べたトンカツは「未知との遭遇じゃ〜♪」と思うほど衝撃的なトンカツだった。また行きたいお店のひとつ。

・所属研究室が耐震工事で別の棟に引越し。箱詰め作業をする。

・行きつけのレンタルビデオ屋が一年に一度だけの一週間100円の爆安レンタル。すでに見たことあるのに『ベン・ハー』『十戒』を借りる。僕が子供のときに見て驚いたのは『アルゴ探検隊の大冒険』っていうやつで、これも借りてしまう(この映画は以前もここで書いたことがあると思う)。最近冒険したいのかな。

夏といえば、とっさに思い出されるのがエリック・ロメールの"Conte d'ete"っていう映画、
http://www.amazon.co.jp/dp/B00023PJDS
主人公が三人の女の子のうち誰がいいか、優柔不断をみせているときに僕の中で「おまえ、何選り好みしてんねん。」って何故か大阪弁で言ってしまうんだけど(僕は福岡育ちなのに)そういう自分がおかしい。
僕だったら三人の子と同時に付き合おうとするかって?いやいや、それは身の破滅というものですよ。

2008年 7月 08日(火) 17時07分55秒 曇
戊子の年(閏年) 文月 八日 己酉の日
酉の刻 一つ

何人もののイノセント10世
2008-7-1(Mardi)
法政大学出版局から出ている叢書ウニベルシタス、ジョルジュ・カンギレム『正常と病理』でカンギレムのプロフィールには1955年9月死去と書いてあるが、本当は1995年のはずで、誤植なのはあきらか。
カンギレムに関しては少し前にこういう本がでていたことを知りました。
"GILLES DELEUZE, GEORGES CANGUILHEM"
http://voltimimesisedizioni.blogspot.com/2007/05/gilles-deleuze-georges-canguilhem-il.html

そのドゥルーズ、叢書ウニベルシタスから『シネマ1*運動イメージ』がついに今月出るもよう。それから、ひそかに(?)注目している塚原東吾さん、隠岐さや香さんが訳されるダニエル・R. ヘッドリク『情報時代の到来 「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー 1700〜1850年』も今月出る。これは建築のダイアグラム構成という作業上、見逃せないと思うよ。
それと、エルンスト・マッハの『時間と空間』と『認識の分析』も今月復刊。何度か書いたかと思いますが、マッハの感覚論は障害者と密着している。

わけあって、"Innocentius X Velázquez"と検索すると、グーグル先生はベラスケスだけじゃなく、フランシス・ベーコンも示してくれる。



どうしてベーコンが混じっているかというと、ベーコンがベラスケスの作品をもとに制作しているからなのだが、ベーコンはこの作品の写真が掲載されている本を何冊も買ったと言っている。この「何冊」ということは微妙に色合いやサイズの違うイノセント10世が何人もいることになるのだろう。僕の目にはどれがイノセント10世だかまったくわからない。実作をまだ見てないのでわからないのかもだけど、色合いが全く違うイノセント10世もいる。ベーコンは制作理由として色に惹かれたとも述べているが、その「色」というのはどれなんだろうか。忍者の分身の術には、どれか一人だけ本体がいることになっているが、この分身のなかには本体がいるとは思えない。ベーコンのあの雨のようなもののなかにいるイノセント10世は、本体のいない分身のようだ。時間軸はベラスケスは1650年作、ベーコンは1950年作(いくつか制作しており、1953年もあるけど)と300年の時間が流れているが、グーグルではそんなのお構いなしに並べている。このような無視みたいなもののおかげで、ますますベラスケスとベーコンが入り交じってしまっている。

2008年 7月 01日(火) 02時16分34秒 曇
戊子の年(閏年) 文月 一日 壬寅の日
丑の刻 三つ

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