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2008-06 journals

機械と肉体
2008-6-25(Mercredi)

寺沢武一『スペースアドベンチャーコブラ』(集英社)に収録されている、「海底の墓標」のワンシーンにはコブラの義手がもどってきたのをみた女の子に「自動的に戻ってくるようにセットしてあるんだ」と説明したとき、

「セットしているのは義手だけなの 女の子にもしてるんじゃなくて」

とうまい返しをみせる。この漫画は感覚が異常に発達した宇宙人や、ダーウィンの進化論に基づいた思想として足が車輪になっている人間がでてくる惑星があったり、視覚と聴覚を切り替えてしまう能力をもったやつとか出てくるように、肉体と感覚という意味ではおもしろい漫画。
『銀河鉄道999』は主人公はメーテルとともに機械の体を手にいれる旅をすることになっているが、『コブラ』では逆に機械の体になった「意識」がふたたび人間の体を取り戻したいという逆のストーリーが展開されている。価値観もたとえば、ストリップバーで女の子がロボットだとわかると観客が「だまされた!」「金かえせ!」とわめくシーンがあったりして、おもしろい。

2008年 6月 25日(水) 14時52分33秒 曇
戊子の年(閏年) 水無月 二十五日 丙申の日
未の刻 四つ

LSFの新刊が出ました。
2008-6-23(Lundi)
地球を包もうとしているオンラインショップのアマゾン・フランス、イギリスのサーバーがダブリンにあって、住所はルクセンブルグにあるということは有名な話ですが(そうか?)、確かに大都市に置くよりはテナント費が安上がりのはずで。

フランス手話で遺跡や歴史なんかの話をするときに使えそうな本ですが、2年前に"Préhistoire : Vocabulaire bilingue LSF/Français"という本があったんですね。




その続編というべきシリーズがでた。中世を扱うようです。
http://www.handicap.monum.fr/fr/Menu_generique/Produits_adaptes/
"Moyen Âge. Vocabulaire bilingue langue des signes française et français"
内容はこんな感じで、例として示されている"hominisation"(ヒト化)は徐々に背骨が立っていく表現。



次は"époque modern"(近代)か。

2008年 6月 23日(月) 19時58分41秒 曇
戊子の年(閏年) 水無月 二十三日 甲午の日
戌の刻 二つ

コラージュされた字
2008-6-16(Lundi)
先週、木下長宏先生の講義を受けに行く。
前にもお知らせしたと思うが、岡倉覚三『日本美術史』(岡倉本人はこのタイトルをつけていないが)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582763774
を一年通しで精読するというもの。美術・美学の講義を一度も受けたことがない僕としては、願ってもない機会であるわけだ。
前にも書いたことがあると思うが、去年あった芸大の展覧会も含めて、美術・美学の人文系の研究者は一人称、二人称で岡倉を書くときに「岡倉天心」としているが、これが間違いなのではないか。聞くたびに「岡倉覚三だよなあ・・・」と思う。岡倉本人は一度も「天心」と名乗ったことはない。

「天心」がつけられたきっかけとなっている、天心全集(http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000584856/jpn)の現物をみせてもらった。和綴じで表面は絹で処理されている。気付いたが、「天心全集」と誰かの字による題字があり、何か右上がりの不自然な字だったのだが − これはコラージュなのかもしれないという議論をする。岡倉(右利き)は自分のことを一度も天心と言ったことがないので、「天」「心」をどこかから引っ張ってきたのかもしれないと。

そのほか、本のミス(正確には原本のミス)があったという話をする。

京都大学、岡田温司先生の本が出るようです。
うーん、すごいスピード・・・。衝突するしかないほど加速しちゃっている。
『イタリア現代思想への招待』
『フロイトのイタリア――旅・芸術・精神分析』
前者は「ラチオ」誌連載全四回を本にしたものときいている、後者のは去年お会いしたときに「今、フロイトのイタリアという本を執筆しています。」といわれたのだが、同時にこうも言われていた。

「これは秘密ですよ。」

だから僕は誰にも言わないでいたのだが(僕は岡田先生とはそんなにお親しくさせていただいていないので、教えてくれる理由も正直全くわからない)、表象文化論学会のニュースレターにもふられていたことなので、ほとんどの人は知っていたのでは。まあ、それはさておきこの本はすぐ読まなければなるまい。
ちょっと検索したら先生の大きめの写真も。
http://artstudium.org/report/2007/11/post_7.htm

他にも芸術人類学(IAA)から叢書を出すようです。
http://www.tamabi.ac.jp/iaa/
■芸術人類学叢書1 中沢新一 著
『狩猟と編み籠/対称性人類学2』
■芸術人類学叢書2 アラン・ダニエルー 著(淺野卓夫・小野智司 訳)
『シヴァとディオニュソス/自然とエロスの宗教』定価2500円

そうそう、『筆順指導の手引き』という本があって、まあ要するに漢字の筆順はこうである、と文部省が定めているのだが発行が1958年でそれ以前はどうだったか、という問題を知る。
たとえば、『筆順指導の手引き』以前の本で「必」の書き順はソ、点、乚と書いていたが、心→ノと解説しているものがあるようだ。迂闊にも知らなかったが、おもしろい。

2008年 6月 16日(月) 17時43分22秒 晴
戊子の年(閏年) 水無月 十六日 丁亥の日
酉の刻 二つ

グールドからの連想
2008-6-10(Mardi)
うれしいお知らせ。
『人間の測りまちがい 差別の科学史』
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309463056
の文庫版が出た。ハードカバー版は長らく絶版で、僕は再販を待ち望んでいたので、必ず買わなければなるまい。
グールドといえば、どうしてもイチローを連想するし(『フルハウス』という本で四割打者を論じているから)、もちろんピアニストのグレン・グールドも思い出してしまうね。グールドがすごく好きな日仏語の翻訳者をしっているが、彼女にグールドの真似をしたら爆笑していた思い出がある。

建築の話。投入堂と微妙に関係あるかもしれないが、カスタネダの著作や紀伊国屋で『知覚の扉』 (平凡社ライブラリー)をみて、ちょっと気になっている。というのも投入堂に入ったとき、一種の陶酔感があったので。そういえば、幻覚の研究で有名なアルベルト・ホフマンが5月に亡くなった。
それから、来週22日と29日に放映されるNHKスペシャル『沸騰都市』の3、4回の紹介が出ている。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080622.html
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080629.html

フランシス・ガルトンが創刊した雑誌"Biometrika"がうちの大学にあるんだけど(結構どこにもあるし、JSTORでみられるけど)、パラパラめくって読んでいるところ。統計学で名をなしている人たちがいるのはいうまでもないが、美術に非常な関心を寄せていることがよくわかる。

EHESSで紹介されていたが、
http://www.arhv.lhivic.org/index.php/2008/06/03/738-parution-de-le-cinema-naissance-d-un-art
"Le Cinéma, naissance d'un art"という本が出た。ベルクソンやアラゴンなど収録リストがズラズラと紹介されているのだが、ちょっと前にサイレント映画はむしろ音と強く連動していたという論文(映画と生演奏とか)をチラ見していた関係で手を出そうかなと思ったが、時間とらなければならないだろうな・・・。無理かも。

小山田大さんのロッククライミングDVDが出る。
http://pump-climbing.com/bpump/2008/05/dais-video-diaries-vol1.html
ご本人の日記によれば、素人撮影なので暗かったり見苦しいところはあるものの完登シーンがきちっと入っているのでご期待!とのことだった。

2008年 6月 10日(火) 20時11分03秒 晴
戊子の年(閏年) 水無月 十日 辛巳の日
戌の刻 三つ

人造
2008-6-9(Lundi)
バターや原油が入手しにくくなっている現在、頻出するキーワードは「エコ」だが、「人造」という概念も彷彿される。
過去からバターはマーガリンという名前の人造バターがあって、石炭を使って人造石油が考えられているし、人造米、人造肉というものまであった。よくスーパーでみられる蟹かまぼこは人造肉といえるかどうかはわからないのだが、食感やわざわざ「これはかまぼこです」と注意書きしているほどなのだから、そういえるのかもしれない。人造米は
http://www.nipponstyle.jp/column/nttr/column_16.html
にあるオーマイライスというのが過去にあったらしい、もちろん僕は食べたことないわけで、味も想像がつかない。
かっぱえびせんはアブダクションという意味で関連性がある模様。
http://www.b-shoku.jp/tokushu/projectb/08/index.html
視点を美容に向ければ人造真珠もあるように、自らの手で魔法のように自然にあるものを作り出そうという動きは何も新しいことではない。この概念をさかのぼれば、ホムンクルスがみえるし、その先にはタロスもいる。巨大なものというと人造湖か。
でも、逆にそれが自然界にあるものとまったく同じものでしかも低コストになったらば、産出されるバターや石油の価値が怪しくなる。人造は自然には無限大に近づけるけれど、イコールにはならないのだろう。

小人症という状態だが(最近は低身長症というらしい)、基準があって、平均身長のなんとか・・・という部分が変化しているあたりに気づいた。

Casa Brutus別冊「知らないと恥ずかしい日本建築、デザインの基礎知識」で投入堂を乾久美子さんが見ているコーナーがあって、立ち読みしたら「道のりが険しいとはおもわなかった」というようなことが書いてあったようにおもう、投入堂をめぐるステロタイプにも関心があるな。

窓から雷がピカピカッとみえる。河鍋暁斎の掛軸に雷神が太鼓を落としてしまい、それを拾いに行くコミカルなものがあるし、「Dr.スランプ」では雲の上に機械が備え付けられていて、そこから雷を落とすという仕組み、子供心では本当かな?と思ったり(んなわけない)。

2008年 6月 09日(月) 19時23分08秒 雲後雷
戊子の年(閏年) 水無月 九日 庚辰の日
戌の刻 一つ

春日龍珠箱
2008-6-8(Dimanche)
いろいろしているせいか、夜はぐったり寝てしまうような生活。
最近は風呂上がりですぐ眠たくなってしまう。
ひなたの下でちょっとパンを食べて、お茶を飲むのが気持ちいい季節になってきたよなあ。

サントリー美術館、KAZARIにいく。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol03kazari/index.html
目をつけていたものはいろいろあるが、まず奈良国立博物館が管理している「春日龍珠箱」は外箱と内箱の二合一具で、漆塗、彩絵が施されている。
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2006toku/on-matsuri/on-matsuri-04_1.htm
ググってみたら、他にも印象に残った方はいたようだ。それと2006年に東博にも出品されていたらしいが、このときは何かの事情で見ていなかった。ということで初見になる。
絵柄が南総里見八犬伝を彷彿させる内容。奈良国立博物館研究紀要によれば箱の傷みを修理しているのだそう。一見わからなかったが図版をみるかぎり、赤みが増している感じもした。
今回の展示、ぐるりと回って箱は底面を除いてみられるようになっている。内箱の状態は悪くない。しかしながら、奈良国立博物館の図版によれば―とくに内箱蓋の裏側は八大龍王がカラフルな色で描かれていて、エキゾチックな雰囲気があって結構見応えがありそうなのに、今回の展示では内箱の蓋をあけておらず、その面をみることができなくなっていたのは、かなり残念であった。
内箱の側面はじっくりみられ、うねる波と岩が出ている、狩野派の登場を予感させる波、というと陳腐な言い方かもしれないが。外箱は蓋が外されており、蓋がひっくりかえされて裏側が公開されていた。これは図版でみたことがないが、束帯姿の人物八人が配置されており、龍がそれぞれ彼らの上に鎮座していることから常人ではないことは明らか、神が人の姿をとっている。下をみれば、彼らに珠を差し出そうとする動作をみせる龍がおり、雲をみれば、風雷神がいるという凄まじい構成で、もしこれが現実であったならば、すごい音がしている光景ではなかろうか。
また別の側面に十二宮が丸い珠におさまるかのような感じであって、鹿にまたがる女神が子供というか召使いとと共に中心にいるのだが、この女神が十二単姿で、こんな格好で鹿にまたがるのかと。不思議な光景ではある。「國華」八八五で景山春樹がこの美術品をとりあげ、使用について論じている箇所があるらしいが、まだ読んでいない。いいものをみたので、目を通しておかなければなるまい。
この美術品が気になったので、サンプルとして置かれているカタログで「春日龍珠箱」をみると、箱側面が「内蓋裏面」となっており、あきらかな誤植になっていた。その場でスタッフに指摘したところ、学芸員と連絡をとってくださり、そのとおりであるとのこと。
話は変わって、「十二ヶ月床飾図巻」「文阿弥花伝書残巻」というのも初見。後者は九州国立博物館が所蔵するが、もともとはどこから伝来しているのだろう? それはともかくこれは床の間の飾りに関するマニュアル書みたいなもので季節にあわせた床の間の飾り方が書かれている、貴重な史料。決まり言葉に床の間が一点透視(だったかな?)で描かれているような感じ。前者は後期にも別の面をみせてくれるらしい。
さて、この展覧会の目玉として、伝岩佐又兵衛の「浄瑠璃物語」が出ているのだが、四、五巻のみの公開だった。僕が好きな、龍が出る九巻、天狗が出る十一巻(ここのWorksで出ているのが天狗)は出ていない、あれは結構凄そうなんだけどな・・・僕はまだ実物を見ていない。絵巻はそれでも伝岩佐らしい、緻密で一点のスキもない、まるでフェルメールのような完璧主義の筆がみてとれる。気付いたが、僕がみた四巻で表現されている建築物は実際には建築不可能なのではないか、斗供と屋根の位置が奇妙な配置になっていた。
カタログによれば、WAVEという季刊誌の6号に掲載されている、服部幸雄「飾るコスモロジー」はおもしろいらしい、あとでチェックしてみよう。

2008年 6月 08日(日) 16時53分25秒 雲後晴
戊子の年(閏年) 水無月 八日 己卯の日
申の刻 四つ

豊岡から出雲に抜けて
2008-6-4(Mercredi)
今もなお、伊達大夫の訃報が身に沁みている。だが悲しんでばかりいるわけにもいくまい。

先週末、大乗寺関係であるお寺を調査する。そのまま豊岡に泊まり、次の日からNPOにっぽんmuseumとアートスタディーズ豊岡から出雲に抜ける旅行を敢行する。東大表象文化論の天内大樹さんと一緒に企画しており、時間のバランス、各施設への見学依頼などをこなしていた。実際、訪問してみると各施設で案内していただいた方々の対応がよく、充実した旅行だった。五十嵐太郎先生、南泰裕先生、山田幸司先生や一般参加の方々をまじえて11名、以下の物件をみてまわる。一部、自分だけで見た物件もある。

植村直己冒険館(栗生明)/木の殿堂(安藤忠雄)/大乗寺(円山応挙ら)/三朝橋(武田五一)/三徳山三佛寺/明倫小学校円形校舎/倉吉市庁舎(岸田日出刀・丹下健三)/考えごとの家(タカマスヨシコ)/東光園(菊竹清訓)/米子市公会堂(村野藤吾)/米子市山陰歴史館(佐藤功一)/足立美術館(中根庭園研究所)/出雲大社庁の舎(菊竹清訓)/古代出雲歴史博物館(槇文彦)/大社文化プレイス(伊東豊雄)/一畑電鉄出雲大社前駅/ビッグハート出雲(小嶋一浩・小泉雅生)

途中、トラブルもいくつかあったが、天内さんのご尽力でどうにか乗り越える。
村岡地区から大乗寺まで北上するかたちになり、はじめて村岡周辺をみたが、石材所を三箇所みたのがなぜか印象に残る。現場で切り出した石を運搬して加工してはいるようだが。
大乗寺を訪問し、ひさしぶりに襖絵をみる。やはりここは何かを感じさせてくれるところで、もっと多くの人にみてもらいたい。次の日、三徳山三佛寺を再訪し、副住職のおかわりないお顔とお会いする。挨拶もそこそこに執事次長とともに三徳山を登山し、投入堂を拝む。最初みたときの感動はまったく色あせないね。五十嵐先生をはじめ、皆さん真剣に投入堂をみていたこともとてもうれしいことであった。
新建築で、神代雄一郎先生が書いた佐藤功一の文章によれば、設計にあたってこれでもかと資料を集めたり、辰野金吾から叱られた話がある。独立後の佐藤についていった部下は大変苦労された様子で完成後は必ずといっていいほど寝込んだらしい。
古代歴史博物館で集合時間を間違えてしまい、みんなとはぐれてしまう。天内さんとの意思疎通不足が原因で、これは自分がいけないね、結局一人で帰る。
帰りはサンライズ出雲という夜行列車をはじめて使ったが、シャワーの温度も熱めにできるし、なかなかよく、他の夜行列車も試してみたい。

村上龍のメルマガでバグダッド国立博物館とシーア派、スンニ派をめぐることが書かれており、興味深い。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report1_1266.html

2008年 6月 04日(水) 19時41分00秒 曇
戊子の年(閏年) 水無月 四日 乙亥の日
戌の刻 二つ

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