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2008-05 journals

伊達大夫
2008-5-26(Lundi)
文楽大夫の竹本伊達大夫さんが亡くなった。
http://mainichi.jp/select/person/news/20080526k0000m060041000c.html
「夏祭浪花鑑」の義平次が最高に好きで、「仮名手本忠臣蔵」の高師直もぶてぶてしさ満点。まさに、憎まれ役の声そのものを身体化していた大夫でした。
本当にさびしい。

2008年 5月 26日(月) 19時02分22秒 晴
戊子の年(閏年) 皐月 二十六日 丙寅の日
戌の刻 一つ

阿弥陀堂の道
2008-5-22(Jeudi)
大山寺の阿弥陀堂は美しい。

道もまた美しい。



こんないい道があるとは思わず、つい歩調をゆるめてしまう。出口にある阿弥陀堂は見たいと思っていた建築だが、こんないい道があると、気持ちが高ぶってくる。
小雨のふるなか、シャリシャリと靴が小石をふみしめるときの感触が足に、腿に、そして身体にきて、やっぱり耳の機能だけによって聞こえる人と聞こえない人を区分するやりかたは間違っているようにしか思えてならない。アスファルトで舗装された道のおかげで私たちは多くのことを実現してきたが、同時に多くのものを捨ててしまっている。感覚もそのひとつだろう。



途中で今は既に無き僧坊跡や花がゆれているのをみると、この道を、いったいどれだけの、どんな思いをした人が歩いてきたのだろう。宝物館にある古地図に書き込まれた、同じ道と僧房の形を認めると、なおさらそう思える。

阿弥陀堂の中に鎮座されている阿弥陀如来と両脇侍は保存状態がよく、びっくりする。阿弥陀如来の高さと建築の高さがぎりぎりになっていて光背と頭部が天井より突き出ているために天井をさらにおりあげているところがおもしろい。
御住職とお話しすると、いまはもう失われている大山寺縁起絵巻をチラリとみたことがあるのだそう。価値を考えると大変なものを失ってしまったなと思うが、同時に美術品をずっと遺しておきたいということは、それは美のはかなさを考えると、もしかするととても欲深いことなのかもしれない。

2008年 5月 22日(木) 19時49分21秒 晴
戊子の年(閏年) 皐月 二十二日 壬戌の日
戌の刻 二つ

都市を歩いて
2008-5-20(Mardi)
出雲大社特別拝観で本殿の天井画はどうなっているかというと、拝観時にいただける証にあるイラストが参考になるだろう。



寛文七年(1667)とみえるが、この年に遷宮されているのでそのときの絵なのだろう。注意して欲しいのは、東と西の位置が逆になっていない。つまり、この絵は鏡像となっている、星図をみなれている人ならすぐわかるけれど。実際、御神座は北東に鎮座されている。
ちなみに1667年といえば、建築家のボッロミーニが自殺した年として記憶されよう。

NHKスペシャルで都市を扱うシリーズがスタートした。「沸騰都市」というタイトルで第一回はドバイ、第二回はロンドン。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/city.html
ロンドンには「世界の首都を奪回せよ」という、アニメ的なサブタイトルがついているのは押井守がかかわっているからなのか。
ダッカ、イスタンブールと続き、八回までやるらしいが、残りの四回はまだ出ていない。
ワルシャワか東欧の都市、オリンピックにあわせて北京、そして東京が入るのではないかと思うのだけど。それにしても、ドバイのブルジュドバイのような、建築における「高さ」というのは男性器的な要因がすごくあるんじゃないかとおもう、これはもう既に誰かが書いているはずだとおもうんだけど。建築における高さの単位はメートルで統一されているのはもちろんだが、数字で競うことのなにか、むなしさも伴っているような映像だった。ドバイの人口に合っている容積率なのか。そのあたりがよくわからなかったのだが、作ることが目的であって、使うことが目的ではないようにも思えた。だとすればかなり皮肉な都市である。
ロンドンは750万の人口のうち3人のうちに1人が外国人という都市でサッカーや経済投資に投影されて、アイデンティティや国籍の影がぼうっと浮かび上がる。


2008年 5月 20日(火) 18時16分35秒 強い雨後雲
戊子の年(閏年) 皐月 二十日 庚申の日
酉の刻 三つ

出雲巡礼
2008-5-18(Dimanche)


はじめて島根旅行をする。出雲大社に行く。
前日、雨が降るらしいときいていたので不安だったが雲ひとつない好天だった。
http://www.izumooyashiro.or.jp/tokubetsuhaikan.html
一生に一度あるかないかの特別拝観で天井画をじっくりみせていただいた。カラフルな雲、というのが第一印象で天井に描かれているということや大きさにも惹かれる。柱、階段などひとつひとつのプロポーションが大きく、巨人の国に来たかのような。

行列のなかに去年の1、2月に公開された映画『それでもボクはやってない』の周防正行監督ご夫妻がいらっしゃった。話しかけてもいいですかとたずねたら気さくに応じてくださって、映画のことを話す。



拝観後は出雲大社から更に北にある、出雲日御碕灯台と日御碕神社も訪れる。上の写真は海岸沿いを走るバスから。万葉集にはここでうたわれたのではないかとされる歌がある。



夕方ぎりぎりの時簡に出雲日御碕灯台につく。障害者手帳をみせたら200円が無料に。
レンガを積み立てているわけで、ぼくとしてはこの素材で考えるなら浅草凌雲閣に近いイメージを持っている。むろん、直径はまったく違うだろうが。凌雲閣は倒壊してしまっているが、これはいまだに現役でちょっとイメージを重ねあわせながら登る。レンガがそのまま灯台の外壁にテクスチャーとして出ている点もおもしろい。
家に戻ったあとは休む間もなく動き回り、夜はぐったり寝床に倒れ込むようにして寝る日々。

それにしても今日は好天だね。たまっていた洗濯物を全部干したり、布団もふかふかになったしな。この季節から布団はできるだけ毎週干すようになる。

2008年 5月 18日(日) 15時38分17秒 晴
戊子の年(閏年) 皐月 十八日 戊午の日
申の刻 二つ

住大夫の手
2008-5-11(Dimanche)
忙しい合間をぬってひさしぶりに文楽をみる。
「心中宵庚申」いきなり住大夫さんの語りから入る、上田村の段。
離婚をめぐって妻側の実家に来た夫と妻、父、姉のやりとりがあるんだけど、最後に父が水盃をあげてあと「灰になっても帰るな」と娘夫婦を送り出すあたりがジーンとくる。
八百屋の段は嶋大夫の語り、キレがよすぎて気持ち良くなって少しだけ夢の世界に。姑が嫁を気に入らず離縁しようとするがそれじゃ体面がわるいから、と夫が自ら離縁しようとする。夫の母が包丁を研ぐというくだりが非人間的な感じもするが、夫が妻をわざと追い出したシーンでちらりと人間らしさをみせるんだね・・・。
このあと2人は「道行思ひの短夜」で自決していく。愛のためっていうのはわかるのだけど、でもそれじゃあ残された人たちが辛くないですか。ほんっとに好きな人がいて、両思いなのに別れなければならないことがあったとしたら、辛すぎて、命を絶ってしまいたい衝動にかられるだろうけれど・・・お世話になった人たちのことを考えるとそういう決心って難しいな。

終わったあと、ロビーに出たら、なんと住大夫さんが洋服姿でお客さんに挨拶をしていらした。知り合いらしい人たちに囲まれて雑談している間に、住大夫さんに自己紹介するべく自分のことを紙に書いて渡そうとしたが、なかなかタイミングがつかめない。
ようやく休憩時間もおしてきたときに、間があいたので住大夫さんに一言挨拶をして、紙をみせたら聞こえない人が文楽をみるということに驚かれた様子だった。手を差し出してくださって恐縮にも握手させていただいた。すごくやわらかい、ふわふわした手だった。あの感触は忘れられないな。
ぼくが筆談した紙をめくって「ください」とおっしゃるの差し上げたけれど、よかったのかなあ。

2008年 5月 11日(日) 00時58分06秒 雨
戊子の年(閏年) 皐月 十一日 辛亥の日
子の刻 四つ

皐月のまどろみ
2008-5-6(Mardi)
GWで結構春らしくなったけれど、夏はもうすぐに来ていそうな感じがします。
このあいだ、とくに遠出はせずに家でJSTORをみたり、本をずーっと読んでいたり、布団を干したり、部屋をちょっと整理したりとあっというまに過ぎた感じ。市内にでかけたけれど、結構な人だかり。本当に、これまでにないくらい淡々としたGWでした。

静岡県立美術館で若冲の「樹花鳥獣図屏風」が卓上カレンダーになっているのをダウンロードできる。こういうの海外の日本アート好きな人は喜ばれるよね。
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/shuzou/2008/02.php


2008年 5月 06日(火) 20時51分11秒 晴
戊子の年(閏年) 皐月 六日 丙午の日
戌の刻 四つ

表象文化論学会に入れないということ
2008-5-2(Vendredi)
東大表象文化論のサイトには
http://repre.c.u-tokyo.ac.jp/about/

「まず、「表象」というきわめて多義的な言葉が、「対象的」ではなく「関係的」な概念であることを強調しておきたい。(・・・中略・・・)多種多様な文化の諸次元の関係性の核を示すキー・コンセプトなのである。」

と標榜されている。だが、僕は表象文化論の人たちを中心に構成されている表象文化論学会(http://www.repre.org/index.html)と関係を結べないことに悩んでいる。
この学会から先月、雑誌『表象』02号が出たが、困ったことに買おうというベクトルに身体が向いていかない。頭では向くが。そのうち買おうという気持ちになるだろうと思っていたが、いまだにそういう気分にならない。学問に感情を入れてはいけないといわれるかもしれないが、そういうものではない・・・。
本を読むとき僕が一番大切にするのは、見知れぬページをめくるワクワク感というか、未知との遭遇!という感覚なのだが、そういうのが沸いてこない。

考えてみよう、表象文化論に関心を強く持ったのは2000年ころになると思う。それで、学会ができて一年ぐらい前に入会できないかと情報保障の方法や予算も併せて問い合わせをしていた。3月に返事がきて、財政的理由で情報保障はできないとはっきりした通知を受け取った。通知してくれた先生は田中純先生で、一番最初に表象文化論の面白さを『都市表象分析』という本で示してくださった先生で、自分の研究室で「この本おもしろいよ!」と同級生、後輩と話し合ったことが思いだされた。
通知内容としては、手話通訳やパソコン要約筆記の依頼をする際、行政からの派遣になるが、このケースの場合、主催者(学会)負担になるのだというが、それが難しいということだった。だが僕が発表者として参加するセッションに対しては、何らかの方策をとることは個別のケースに応じて、検討できるかもしれないとのことだった。
つまり、「君が発表したければ、手話通訳は検討するが、他のセッションは参加しなくていいよ」ということである。僕の発表では一方通行的なプレゼンで出席者に剖検されるように見ていただいて、しかし他の人の発表や僕がオーディエンスとして参加して学ぶことが許されないのはどうしてなのだろう。これが表象文化論が提唱している「多種多様な文化の諸次元の関係性」なのだろうか? 矛盾しているのではないか。まあ、この世は矛盾だらけであるけど、この矛盾はシェークスピアの「おお、ブルータスよ、おまえもか」ならぬ「おお、表象文化論よ、おまえもか」であった。
それは僕は今回の入会に関して、表象文化論の大風呂敷というか、定義のなさ、学問領域の懐の深さに期待していた面があったから出た台詞でもある。「表象文化論学会ならば情報保障をつけてくれるかもしれない」って。お金のことなんてやりくりすればどうにかなるんじゃないかと思っていた僕が大甘だったということになろう。

現実に考えたら、すぐわかることだが、僕が入会したらば年会費と手話通訳など情報保障の費用を比較すると、間違いなく学会がお金を負担することになる。ぼくはおそらく唯一、学会の財布からお金を飛ばす会員になっちゃうわけだ。経営、合理的な判断をすれば、僕の入会は厳しいという答えがはじき出される。それでもなお、学会側は僕が発表する場合は・・・と提案をしてくださったわけであるが、この条件をのむわけにはいかない。のんだら、あとあとに入会するであろう聾者が同じ目にあってしまう。

学会で情報保障ができないということは、僕が大会に参加できないということ。
大会に参加できないということは、そこでご活躍されている方々と直に会話する機会がないということ。
会話する機会がないということは、学会や場にかかわれないということ。
その結果、僕は本やネットなどを媒介してしか一方的にしか知ることしかできない。雑誌『表象』を買って、一生懸命読んだって、書いた人とじかに会う大きな機会である表象文化論学会に参加できる機会が失われた現在、哀しい予感がただよっていて、手にするのがためらわれる。
学会に入会できないから雑誌を読んでいるだけなんて面白くないよ、ぼくは。
言い換えると、対岸で楽しそうにバーベキューやお祭りをしているのを遠目に眺めているようで、自分自身が仲間はずれされちゃっているような感じになって、あんまり楽しいものではない。

『表象』02号をめくろうとするたびにこのような感覚に陥ってしまい、この雑誌、読めない!!読めない!こんな思いをするなら、読まない方がよっぽどマシだ。

あえて書いておくが、聾の人たち、とくに大学院進学を考えている人たちに強調しておきたい。なにも日本にある全ての学会が表象文化論学会のような資金面を理由とする対応をするわけではない(表象文化論学会を悪者扱いするようで大変申し訳ないが)。
たとえば、日本生物地理学会(http://wwwsoc.nii.ac.jp/tbsj/index.htm)というのがあるが、ここで三中先生や田中先生の講演がオープンイベントとして開催されたとき、手話通訳をサッと配置してくれることがあったからだ。
どんな学会であろうと、だめもとで話をしてみろ、ってことですね。

2008年 5月 02日(金) 18時04分26秒 曇後雨
戊子の年(閏年) 皐月 二日 壬寅の日
酉の刻 三つ

凌雲閣のような建物が崩れた
2008-5-1(Jeudi)
東京国立博物館で「薬師寺展」をみる。休ヶ岡八幡宮の三神像が一挙に展示されていたのが目に留まる。板絵の明神像は建築のなかで並べてみれば向きが右向きと左向きに分かれていて、全部を見渡せば一点透視的な感じにみえてくるのがおもしろいと思う。
塑像残欠は人型で人形の軸になるものなんだけど、全部で200個近くもあって、粘土の部分が失われているために軸のみが残っている。これで釈迦の人生を表現していくんだね。この木片はいわば骨格の役目だけれど、人骨と違って・・・ジャコメッティのミニチュアみたいな、上下に引き延ばされている。

常設展示もみていく。「松浦武四郎関係資料」(江戸〜明治時代・19世紀 三重・松浦武四郎記念館蔵)がもっとも目をひいた。「道名之儀取調候書付」という北海道、樺太・・・の測量図の上にエトロフ人、タライカ人などの居住地を重ねあわせていく、非常に地味で緻密な作業のあとが読み取れる。(エトロフ人とは択捉のことだと思うが、僕のメモにはエロトフとあった、たぶん間違えたんだろう)

地震で浅草の「凌雲閣」のような建物が目の前でゴゴゴゴと崩れ落ちる轟音を聞いた。耳が聞こえない筈なのにね。

VISAカードのCMだが、諭吉、漱石、英世の人形っていうかCGだとおもうが、なにか不気味さがあるのはどうしてだろう、ご本人には失礼だが・・・。



字幕はこちら
http://www.visa-asia.com/ap/jp/mediacenter/multimedia/tvc_detail_banknote.shtml


2008年 5月 01日(木) 13時47分55秒 晴
戊子の年(閏年) 皐月 一日 辛丑の日
未の刻 二つ

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