tomotake kinoshita old journals

 

2007-10 journals

立花町並、京都大学
2007-10-28(Dimanche)
彦根市の立花町というところの写真。そういえば、井伊家の家紋は橘で、立花と読みが同じだが関係あるのだろうか。



町並み。袖壁を備えている住宅を結構みかける。電信柱で電線のつなぎかたがちょっと変わっている気がするが、そういう印象がするだけで実際はよくわからない。右手はいわゆるホームセンターっぽい品揃えで大工道具やら台所用具やら、僕たちの世代でいえば東急ハンズだね。砂糖店の看板も。



過去に建っている住宅の痕跡が隣家の外壁に残っている。つぶした建築は駐車場となっているようだ。外壁の痕をコレクションしているサイトもある。



住宅の二階に袖壁があるのだが、金属材で覆った袖壁というのははじめて見た。さび具合からして、何か貼り付けていたこともあったように見える。

写真おしまい。朝から京都大学で資料をチェックする。
論文データインプットのためにノートパソコンを持っていくのだが、思ったよりコンセントのある席が少ない。一階には見当たらず、二階にある「片田文庫」のへんにある。
そこで利用する書籍となると関東ではなかなか手に入りにくい雑誌や年鑑だったりするが、それは京大の場合、BNCという通称で管理しているらしい。バックナンバーセンターというのだが、これが桂キャンパスに移されるということで反対運動が起きたことがある。
http://blog.livedoor.jp/saveourlibrary/
結局、図書館建設は中止され、BNCは吉田キャンパスで拝見できている。
http://www3.kulib.kyoto-u.ac.jp/BNC/framebnc.html
ところで図書館内でノートパソコンを使っていたら、無線がひっかかる。なんだろうと思ったら、「みあこネット」というもの。
http://www.miako.net/
登録してないので使えないが。登録するといっても限られたところにいかないとできないとのこと。京都大学附属図書館ではアカウント発行をしていないし、一日でアカウントが消えるとのこと。
帰り、学生に人気あるらしいという定食屋にながれこむ。

丁亥の年 神無月 二十九日 丙申の日
丑の刻 二つ

覚醒したような感じ
2007-10-27(Samedi)
彦根につく。あいにく天気がよくなかった。
彦根は思ったより元気がない感じなのだが、立花町という駅前を歩いていると、昭和の匂いがまだしていていいね。トタンがすっかりサビてしまって茶色になっている。建築をみれば、袖壁が結構みられる。ひさしぶりなのでいくつか見ながら歩く。すると「近江同盟新聞社」という超ローカルな新聞社があるのをみかける。どうもこのあたりにしか流通しないらしい。中を覗くと少しの人数で机で作業をしているようだ。見ていたら、中年の女性がこちらに気づいたので、気まずくなってその場を離れる。
金具や表装の店先では職人が仕上げをしている。これはもう横浜ではみられないだろうな、と思いつつ歩く。
彦根城の前に馬舎があって全国でも一番古いものらしい。こないだ、サントリー美術館で宮内庁三の宮が所有している屏風があったけど、ちょうどそれを思い出すのにいい。サントリーのは馬舎の前がすぐ外になっていたように記憶しているんだけど、こちらは前も屋根になっていて、そんなに明るくはない。
ここに来た一番の目的は彦根屏風をみるためで、彦根城博物館にある。





今年屏風化されたので見ておこうと思っていた・・・と思っていたらもう最終日だった。博物館では手帳を出せば無料。
六曲一隻で、ー番左右にいる人物にとてもひかれる。左は老人が三味線をもっているのだが、その目つきは明らかに盲なのではないか。左目は閉じ、右目は黒い部分が描き忘れたかのように、光を感知しないように思われた。
右隻の一番右とその隣(五面と六面)には四人の人物がいて、二人二人にわかれて向かい合っているんだけど、屏風になったことで五面の人物の目が空間を飛んで、六面の人物の身体に到着している・・・。
それにしても、一番右にいる、桐(?)の花を手にうつむいた女の子は目が見えない、少し不自然な感じもして怖い。

「いと重」という店で「埋れ木」を買う。
http://www.itojyu.com/
この和菓子はものすごく甘く、いつまでも後味が舌に残る。それもいろんな甘さが包み込まれていて頬張っていると味が微妙に変化していって、お茶が楽しくなる和菓子。

このあと安土に行こうと思ったが、荷物があったのと天気がちょっとくすんでいたのでやめにして、京都の東寺に。東寺の宝物館や観智院が公開されるというので行ってみようと思っていた。3つの施設を全部まわるなら1500円かかるが、障害者手帳を出すと500円になる。
京都駅について、河原町で荷物をあずけたあと207番のバスで東寺へ向かう。207番は京都国立博物館にもいくし、祇園、河原町もとおってくれるし、京都で好きなバスのひとつだ。バスの窓で四葉クローバーのタクシーを捜すが当然ながら見つからず。
東寺に降りたら雨がちょっと強くなっていたので傘をさしながら境内に。ちょっと話が飛んで失礼なのだが、閉まるまぎわに僕は東寺金堂にいた。薬師三尊、月光菩薩、日光菩薩がいるところなのだが、そこはライトアップがされていて、時間になったときに消灯されて真っ暗になったんだよね。
そうしたら、窓からかすかに入る光のみのうすぐらい空間になって、その光が菩薩の身体を照らす。ライトアップでは金色に輝いてみえたのだけど、外光・・・つまり、当時の光もそうであったろうが、その環境になるとあの金色がどこかにいってしまい、仏像の白にみえたんだ。そして見えるところと見えないところが浮かんでいて、仏像の表情だけがほんのりと浮かんでいるような印象。曇りだったからかもしれないが。なぜかわからないけど、絢爛にするために金色にしたんじゃなくて別の目的があったようにみえて、理由もないのに「これだ!」「ああ、そうなんだ!」って覚醒したような気持ちになった。
係りの人が僕をみているので、しかたなく出ちゃったけど、あの光景は忘れられないものになった。

丁亥の年 神無月 二十七日 甲午の日
子の刻 三つ

パルムでアンパンマン
2007-10-23(Mardi)
日曜日、板橋区立美術館を出たのは14時くらいだった。そのまま横浜に帰るのもなんだかなので、同じ三田線の武蔵小山で下車する。
ちょっと前に、Scriptaが紀伊國屋で配布されていて、そのなかで長谷川一さんが川本三郎さんをひいて、東京は商店街だらけだということを書いていたけど、武蔵小山にも大きな商店街「パルム」っていうのがある。
http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/hot/0602/special01.html
ここに降りたのは訳があって、ぼくは「あんパン」なる存在がとても好きで、とても特徴的なのを売っている店があるときいていたからだ。それ以来、武蔵小山を通るときは下車しようと思っていたので、今回やっと叶ったというわけさ。
さっそく「パン工房 こみね」に行こうとするが混んでいる。何しろ日曜日のいい天気の午後である。人をかきわけるように歩いていると、地元の商店街に似ている気もしたが、道幅が4メートルぐらいしかなく、なんていうか人の密度を生んでいていい。
「こみね」であんパン系を注文して袋を渡されると・・・重い!なんだ、この重量感は。このパンは詰まっているあんの量が多いときいていたが、やっぱり多い。ちょっとちぎるとパンの皮よりあんの方が多い。食べると結構な満腹感がくる。
むしゃむしゃ食いながら歩くと、カフェ・ド・パンだというパンダをイメージキャラにしたカフェがある。パンとパンダをかぶらせてるわけで。僕ははじめて降りた駅で必ず古本屋をチェックするがめぼしい本に出会えず。

紀伊國屋で新刊をチェックしていたら、佐藤可士和さんの『佐藤可士和の超整理術』が積まれていたので立ち読み。佐藤さんがこれまでやってきた仕事をトーク風に語るような内容で、すらすら読める。事務所「サムライ」では資料整理を徹底的にやらせるそうだけど、同感。ぼくのような立場の人だと何もしなくてもどんどんいろんな論文が舞い込んでくるところなので、論文をどう整理するか、分類するかということは論文を書く、読む前にまずしなければならないことであり、集中するべきところ。
実際、そうやっていることで自分の頭がクリアになってくる。
言うべきことを言うために、何を知っていなければならないか。これを頭のなかですっきりしておかないといけない。その最もたる方法が、論文の整理分類だろうと思う。

丁亥の年 神無月 二十三日 庚寅の日
酉の刻 二つ

周文は・・・やっぱり天才
2007-10-21(Dimanche)
板橋区立美術館に行く。
「谷文晁とその一門」という展覧会が目当て。
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/schedule/e2007-03.html
最寄り駅である西高島平は、三田線の終着駅。着くとハイウェーがみえて、郊外型パチンコ屋もみえるが、ハイウェーを潜ると住宅がたくさんならんでいる。
10分位歩いたら、美術館についたのだが、今日が最終日なのに人が驚くほど少なく、混雑を覚悟していた身としては驚く。国立近代の平山郁夫展はあれだけたくさんの人がおしかけているというのに・・・。もう、谷文晁なんて過去の画家なのだろうか。最終日にこんなに人が少ない、ということを憂いたくなるほどだった。さっき、ミクシイで今回の展覧会についてのコミュニティをみてみたが、結構人が少なく、そんなに人気はないらしい。

谷文晁の画はそんなにたくさんみたわけではないが、いつかちゃんとみておきたいと思っていた。こないだも書いたけど、プハー氏と上野にいたとき文晁碑の話をしたしね。
この展覧会そのものは東京大学が出している雑誌「UP」の10月号に佐々木英理子さんが寄稿されているのをみて知った。佐々木さんは以下でも板橋区立美術館の紹介で登場されているので、それをみるといいとおもう。
http://www.itabashi-life.com/backnumber/special24/index.html
会場で、障害者手帳をみせると300円です、といわれた。もちろん払うのが嫌な訳ではないが、私立以外の美術館は無料になることがほとんどなので意外な気がした。ふっとカウンターをみるとオペラグラスを無料でレンタルしている。
そっと手にとって覗いてみたら完全にレンズが歪んでいた。サービスのつもりだろうけれども、これはあまり頂けないと思った・・・。

ぼくは谷文晁の画はそんなにたくさんみたわけではないし、門下の画家になるともっと知らない人もなかにはいる。今回、はじめてまとまった作品群をみた。部屋は二室しかなく、ちいさな美術館だけど、窓から森がみえて、鳥たちがさかんに飛んでいる。
部屋に入るなり、かなりの通らしい男性がスタッフを叱りつけている所に出くわした。展示のやり方に気に入らないところがあるらしく、谷文晁の掛軸を指差して何か言っていた。ちょっとみれば、蛍光灯がうまくあたっていない隅にある軸のようだが、蛍光灯の光を谷文晁は知らないのだから・・・まあ、それはとにかくひとつずつ見て行く。
谷文晁というと、特定の画風にこだわらない描き方をしていた、と評価される。
その画風の分類基準として、有名なのは佐々木さんも解説しているが、萬鉄五郎が定義した概念がまずあるだろう。それが「寛政文晁」と「烏文晁」のふたつで、要するに寛政期間と文化期後半で谷文晁の画風がちがうという分類法。寛政期のが細やかでしっとりと風景を仕上げていく雰囲気で、評価が高いとされている。・・・たしかにそのとおりだけど、「鍾馗・山水図」のように鍾馗の衣服ラインをみると震えたり伸びたりして、寛政までにはなかったような筆運びをしているようで新しいことを試みているように見える反面、これまで積み重ねている部分も風景画でうまく使っている、とてもバランス感のよい画でこれはおもしろかった(こっちの落款は烏文晁)。
烏文晁は部分と全体というような、「気配を描く」ことに集中しているようにみえる。木の葉、幹、水、風、人、服・・・それぞれの動きの部分部分が一体として風景全体の気配を描き出している。「秋山高隠図」は落款からして文化期だと思ったが、碧と緑の混ぜ具合が絶妙でちょっと忘られない掛軸。
弟子たちはあまりうまくない画もあったが、それでも谷文晁の系譜をみていくにあたってはなかなかいい構成。とりわけ、金子金陵、岡田閑林、鈴木鵞湖、立原杏所が印象に残る。岡田閑林は今や大人気の若冲や岡本秋暉と似通っているけれど、なんだか幻想的な部分もあってよい。佐々木さんによれば、あまり研究はされたことがないようだ。立原杏所はちょうど東京国立博物館で「葡萄図」という、徳川斉昭の前で酔っぱらって描いたという画がある。碧でしぶきを上げていて、それが葡萄そのものが豊饒しすぎてスパークしているようで、甘みそのものを表現しているようななかなかエスプリの効いた画がちょうど今展示されているので、あわせてみておきたいが、透明感のある画。「國華」562號に作品が掲載され、940號に河島元昭先生が論文を書いているらしい。
目録にある谷文晁とまわりの画家の経歴を佐々木さんが解説しているのだが、よくまとめている。古い資料から今年出た新しい図録まで引用していて日々努力している感じがした。いや、ぼくは日本画専門ではありませんがね・・・。

見終わったあと、また見ようと思って、ロビーに座っていたら眠くなって、横になったらスタッフが「具合がわるいんですか?」と話しかけてくる。「いや、眠いだけです。すみません。」と詫びて、何回か文晁たちのあいだを行き来する。
谷をみていて思ったが、ぼくは現時点で室町時代の画家、周文はすごい画家だなとあらためて思う。谷文晁のレベルはもちろんとても高く、周囲も高く評価している。だけど、谷文晁の才能だとこのように筆をあやつることができるんだと思うと、周文の水墨画のように光を自在に操れる画家がいただろうか、と思ってしまう。

周文は天才としか言いようがない。

丁亥の年 神無月 二十一日 戊子の日
亥の刻 四つ

「耳がきこえませんのでわかりません!」
2007-10-18(Jeudi)
去年の10月。入院のことをふっとしたときに思い出す。カレンダーをめくっていて、それほど10月の時間というのがひさしぶりに感じられる。
入院していたとき、痛みはひどいのだが、なんにもしないわけにはいかないので本を取り寄せてもらって読書したり何年かぶりのゲームをちょっとしたりした。病院というのは朝、昼、夜のご飯の時間、診察の時間が完全に決まっているわけで、だから生活のリズムもキチッとしてくる。そうしていると、自然にリズミカルに読書ができたりと時間の経過がゆったりしてくる。去年の夏休み中に頑張りすぎたのか、とても不規則な生活をしていて、体はボロボロになっていたらしい。それを医者から告げられたとき、そのリズムをもって生活することをあらためて思い出したし、ああ、ぼくは不死身じゃないんだなとか。
横になっているとき、ふっと僕はここで何してるんだろうなあとか思ったりしたものだった。社会の流れからものすごく離されてしまったような感覚。退院したときひさしぶりに外を出歩くわけだが、地下鉄の切符を買ったりとか、スーパーで買い物をする客をみるのがものすごく新鮮にうつったりして、つい自分が子供のころを思い出す。
小学校にあがるときに一度入院したことがあるが、そのときに母が見舞いにきていた。今回も母が見舞いにきたからね、あのことを思い出すわけ。「病室の窓からバス停をみて、お母さんが消えるまで見ていたんだよ」とか話したら母はそれをしらなかったらしい、ちょっと驚いていた。去年は病室の窓から母の影を探すことはしなかったけどさ。

今日見た記事。
「警官殴り逮捕、4か月無言の「留置17号」に猶予判決」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071018i304.htm
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071018STXKE020818102007.html
この人は聾である可能性はないのだろうか、と思っていた。執行猶予がついて歩き去ったそうだけど。
「松原裁判官が「私の声が聞こえますか」「日本語がわかりますか」などと問いかけたが、反応しなかった。」
とあるが、手話で話しかけることは試したのだろうか。あるいは身体検査で聴力検査で判別が可能だったかもしれないが、もし某国のスパイだったら・・・。

以前、断念した「はてなダイアリー」というブログを使い始めた。とりあえずいろいろ試す。引用のタグは使えそうだ。

これもみる。
http://lifehacking.jp/2007/10/time-saving-tips/
ぼくがやっているのは1,4,6,10,11,12,15のつもりだが、他にもあったのか。14は気づかなかった。8はやっぱり研究を生業とするものに限らずどんなシーンであれ、仲間は大切だ。誰に何を任せられる能力があるかどうか見極めるのは自分でこれが大事かもしれない。9と13は聾である僕には関係がなさそう。9については人に電話を頼むことが結構あるので、どういう用件で電話を頼むかをはっきり言ってから電話してもらっているので、まあ大丈夫かと思うが。13はもちろん家にも訪問者がときたまにくるのだが、「耳がきこえませんのでわかりません!」というとたいていは退散してくれる。ねばる人もいるけど。とはいえ、僕が住んでいる家はちょっと変わった構造で、訪問者が入りにくい仕組みになっていて確率は低い。
しかし、全部自動引き落としにしちゃうのは立ち話とか人と話ができないのがあまり楽しくない感じもあるがね。
たしかに福田総理もホームレスも犬も猫にも、ジャック・バウアーにも人の目からみた「24時間」が流れている。そのなかで一見無駄な時間をどう使うかということもぼくが入院していたときにうすうす感じていたことではあった。看護婦さんと話すこととかそんなあることではなかろうし。ピエール・ジャネやヤコブ・フォン・ユクスキュルという人が論じるように「時間の感じ方」についても思い出す。

http://toshokan.weblogs.jp/blog/2007/10/post_4226.html
国立国会図書館がなんとオンラインブックマークをやってくれている。ありがたいのでためしに登録してみる。
ここのサイトでの検索結果はそのままブックマークにとりこめないので、本を出してもらうときは請求記号とかをノートにまとめてから行っていたけど、ここにいろいろ登録しておけば、それをそのままプリントアウトするのもよいかもしれない。

丁亥の年 神無月 十八日 乙酉の日
申の刻 二つ

オークションの結果
2007-10-16(Mardi)
最近、ニューヨークのクリスティーズでおもしろそうな出品があった。解剖学に関する古い図版。
http://www.christies.com/features/oct07/1885/overview.asp

クリスティーズのお店はいくつかあるけど、ロックフェラー・プラザのところ。オークションは先週早々に終わったばかりで、結果はどうなったかと思っていて、今日調べたらJoanna Ebensteinさんという方のブログにレポートがあった。
http://morbidanatomy.blogspot.com/2007/10/christies-anatomy-as-art-auction-part_10.html
この方、医学史や解剖学史に関心がおありのようで、リンクをみればそれ関係のものがずらりと並ぶ。
オークション結果はここ(ここにポインタを置けば)でみられるが、金額しかわからないのでEbensteinさんのようなレポートがあるとよいね。落札はいずれも予想範囲といった感じで争いはなかったよう。それでも85番のタブローなど高いものは高いが。
ヴェサリウスの『人体構造論』というすごく有名な本も出ていたのだが、買い手がつかなかったようだ。日本にも大学図書館とかにあるけど。

Sale 1885, Lot 11
Andreas Vesalius
De humani corporis fabrica libri septem
Basel: Johannes Oporinus, June 1543
Estimate: $200,000-300,000

丁亥の年 神無月 十六日 癸未の日
戌の刻 一つ

黒川紀章
2007-10-15(Lundi)
建築家の黒川紀章さんが亡くなったニュースをみる。
ここ最近は建築家、というより政治家をめざすべく都知事選や参院選に立候補されたいたことで一挙に知名度がひろがったような感じがあるね。建築家の仕事をやっていると政治にかかわらざるをえないというか、レム・コールハースもまじめに政治家になりたいと言っているが、建築設計はほとんど法律との戦いなので出馬は必然と言えば必然の出来事だなと思っていた。
ぼくが高校生のときに新聞か何かで黒川さんが出ている記事をみたのが最初に名前を知ったきっかけではなかったかと思う。ちなみに内容は丹下健三についてだった。ぼくの地元には磯崎新の建築がわりとあって、そして繁華街に出たら黒川さんの「福岡銀行本店」があるのも知ったきっかけになるだろう。わざわざみにでかけたものだった。
建築理論家のニコラス・ジョン・ハブラーケンと黒川さんは「サポート・インフィル」の概念において、サポートの意味合いがとても似通っていると思うから、お互いに注目していたかも知れない。そのあたりが巽和夫先生と違うように思う。そして、黒川さんが言っている「共生」「メタボリズム」はスーパースタジオがつくりあげるような建築を僕はイメージしていた。すこしファンタジックすぎるかもしれないが・・・。いまやごくふつうにみえるメタボリズムだが、1960年代、つまり僕が生まれるよりずっと前のころは結構新鮮だったらしい。
黒川さんご本人とあるところで会ったが、中銀カプセルタワー(今年春に建替えが決定されている)の保存について話があった。なんでも前日にホテルに泊まって原稿を夜遅くまでかいていたからちょっと疲れていると言いながらも白いスーツに黒い帽子でビシッときめて、溌剌とカプセルタワーの管理方法についてなどの話をしていた。
新聞によれば車をご自分で運転されていたようだが、段差を上り下りするところで足をかなりふんばっていたようにみえたので、あまり体がよろしくないのかなと気にしていたところだった。話がおわっても、SONYのノートパソコンを操作していたりと、常に手が動いている人という印象が刻まれた。
8月の野村先生、青木先生に今度は黒川先生。
合掌。

丁亥の年 神無月 十五日 壬午の日
巳の刻 三つ

お先に紅葉狩り
2007-10-14(Dimanche)
岡倉覚三展を出て、東京国立博物館にむかって歩く。何人か女の子とすれちがうが、ニットチュニックっていう腰までのびたような服があるけど、ぼくはあれがちょっと苦手だ。スカートかパンツかの二択しか頭にないようでセンスのなさを露呈するようで恥ずかしいけど、ボウタイブラウスとかラインのあるワンピースとか良いのにとか思う、僕があれこれ言うことではないが。

東京国立博物館、大徳川展に行く前に、常設展示をみていく。
『松浦宮物語』が出ていた。うわさにはきいていたが、結構サイズが小さく、コンパクトな感じ。閉じれば、縦横17センチぐらいか。




いろんな美術品を見ていて、そのなかで一番難しいと思うのは「書」で、筆跡鑑定から字の大きさ、字体、配置、紙、墨、色・・・あらゆる要素にひめられた感性をよみとるというのはとても大変な作業。もちろん、陶芸や絵画、彫刻は簡単につかめるものではないが、書というのは悩ましいものがあると感じる。
今回出品されたものはそれら全ての要素がもりこまれていると言ってよい。紙も頁ごとに素材が違っていて、目的ごとに使いわけられているし、背景・・・下絵というが、それも金銀をつかってかき分けられている。文章はとりわけ墨を変えることはしていないようだが、僕がみた限り、この写真にあるような筆の強弱のある感じではなくて、もっと紀貫之のような女性っぽい細い筆致だった。ストーリーは簡単にいえば、遣唐使の副使として中国に行く男の恋愛物語。
画像のような、陽を背中にするシーンはみられなかったが、背景がそれぞれのシーンで異なっていて、現代小説のように挿絵と文章が分離されていることに慣れきっている我々の目に新鮮にうつる。東宝映画の波が出てくるシーンにちょっと似ている感じもしたが。目の動かし方、もっというなら意識の持ち方によって背景や文体が前面に浮かんでくるような、そういうことをあらためて思わせてくれるものではある。

『天啓赤絵羅漢図反鉢 』(中国・景徳鎮)もおもしろい。反鉢という、皿の口縁を折り返すような陶器なのだけど、その反り具合がつぶれたような感じじゃなくて、サーファーが好むような、高い波のような具合。まわりにも淡い青に朱色をきかせていて真ん中に人物。羅漢とタイトルにあるように。
大判物『海晏寺の紅葉狩』(勝川春潮筆)はミントグリーンに、ピンクのメリハリがきいていて、まだ紅葉本番でもないのにお先に紅葉狩りを楽しんでしまったよ。おっと、海晏寺の近くには遊郭があったらしく、ここで紅葉狩りをするっていうことはすなわり女の子を狩る・・・「狩る」は言い過ぎだが、要するに女遊びをする意味もあったらしい。紅葉を燃えるイメージに重ねて。「海晏寺 遊郭」で検索してみればいろいろ出るので興味をもった人はやってみるといいだろう。この画をかいた勝川春潮は生没年がよくわかっていない浮世絵師だが、人物のプロポーションや目の描き方をみるからにやっぱり春信と清長から結構インスピレーションを受けているような感じなので、そのあたりの絵師なのだろう。
歌麿は画によってはあまり好きではないのがあったりするが、『娘日時計』のシリーズ(喜多川歌麿)は胸あたりでカットされた女性とその上にまた女性がいる構図があったりしていて徐々に好きになりかけているなあ。
被衣(かずき)も一点だけだが『被衣 染分麻地松皮菱菊蕨模様』が出ていた。説明によれば、公家は絹、町方は麻を使用するらしい。顔がみえないということで暗殺用に使われたことがあって、禁止されていたが明治も使っていたようだ。

丁亥の年 神無月 十四日 辛巳の日
申の刻 四つ

岡倉天心ではなく、岡倉覚三。
2007-10-13(Samedi)
プハー氏と上野で待ち合わせ。あいかわらず黄金の仮面をしているので、動物園の前にある交番でおまわりさんから見られる。
東京藝大に向かう。廃止された京成本線の博物館動物園駅があるが、そのあたりでプハー氏が「あれ、ぽつんとあるよね」とある碑を指差す。みれば文晁碑とあるもので「谷文晁か。あれって碑文が剥がされているよね」とこたえるとプハー氏も同意していた。ちなみに今検索したら
http://sabasaba13.exblog.jp/3359440
この人も気にしていた。

「岡倉天心展」に。だが、木下長宏先生によれば「岡倉天心」というのは岡倉死後に後世の人々が呼び始めている。本人は死ぬまで本名の「覚三」だったことが最後の作品「白狐」英文草稿からもわかる。
だけど、展覧会のタイトルをみると本名の「覚三」ではなく天心になっていて・・・これでは、人々の脳裏に「岡倉天心」として刷り込まれてしまう。「天心」が有名になってしまった観があるけど、ここではあえて「岡倉覚三展」としなければならないところ。
狩野芳崖や九鬼隆一との仕事に関するものが出品されていたが、実物をみるのははじめて。どこにあるのかと思ったら、東博や日本美術院だとある。今ぼくが取り組んでいる研究で困ったことがあったのでこの表示はヒントになる。岡倉が美術学校を辞職したあと出回った告発の手紙も出品されていたが、それによれば「岡倉は精神遺伝病を有す。・・・人の妻女を強姦したり、継母と通じたり、フェノロサの虚構の妄説を信じ、狂画工狩野芳崖 ・・・ 七十名の卒業生、仕事がなくて手を空かせているので社寺保存会、博物館に依頼して古画の模写や修繕にあてるのはいけない。未熟なのにそんなことさせたら作品が傷んでしまう。」という、かなり敵意をふくんだ文章。
日本建築史のカリキュラムでは少ししかふられていなかったところだけども、関戸貞や塚本靖の図案科に関する展示をみておきたい。初めて知ったが、横山大観が図案科助手をしていたそう。
東京美術学校の制服・制帽はいかに日本を表現するかというところや海外からの背広とかの批判として、天平時代のような服をきているのがおもしろいと思っていたが、実物の制服が展示されていたのをはじめてみる。デザインは黒川真頼で、『帝國服制要覧』というのに詳しい。
『綵観』というのもはじめてみる。
どうも最近買い戻されたものらしいけど、それぞれの扇に各作家がレリーフ、日本画、彫金をするというちいさな屏風。ぼくがとりわけ興味深かったのは、接扇の形式。つまり、扇同士をどう結ぶかということで、この作品では屏風の扇を紐でとめている。




具体的には、この写真(橋本雅邦「應真」)の左側に藍色の紐と金色の金具がみえるけど、木穴に金具を嵌めている。その位置が結ばれるべき左右の扇でずれているところがおもしろい。穴をあけているところが木枠だからそうなんだけど、室町時代の山水屏風(出光美術館)をみると、穴の位置は平行になっていて、これと違う。このような木枠の意匠って、紐の形もきれいにみえるっていうか、ちいさな仕事だけどおおきなことをしているとも思う。逆に言えば、室町時代のはどういう結び方をしていたかということを考えさせてくれるわけだけど。
最後に大正2年11月15日に行なわれた、追悼会の写真があるが、よくみたら、岡倉覚三は体を斜めに向け、顔を完全に横に向けていた。真正面じゃない。この写真を選んだ意図を知りたいね。

ハンバーグを作る。自家製パンを入れると結構いけるよなあ、むしゃむしゃ。

丁亥の年 神無月 十三日 庚辰の日
戌の刻 一つ

ブクブク・ペリエ・プハーの予告
2007-10-10(Mercredi)
プハー氏にあう。すぬうも一緒にいる。最近忙しいらしく、お互いに連絡をとっていなかった。すぬうによれば、プハー氏は最近夜更かしすることが多いらしい。
ラグビーW杯のフランス代表の話とかする。プハー氏もレキップをチェックしていて、週末のイングランド戦を楽しみにしているみたい。
「上野がちょっとすごいことになっているよね。」と彼がもちだしてきて気づいたが、今日から東京国立博物館で「大徳川展」があるが、出品リストが公開された。
http://www.tnm.jp/jp/exhibition/special/200710daitokugawa_list.html
鎧、刀から入って、定家の書、狩野探幽、無住子の画、茶道具、嫁入り道具、姫の遊戯物、揮毫にいたるまでの陳列構成になっていて目眩がするほどのボリューム、クオリティ。「徳川」という名前や権力のプレゼンについてどのようなイメージを持つのかちょっとわくわくしている。
平常展でもおもしろそうなのがいくつか。歴史資料には江戸に関する展示をするようで特別展と歩調をあわせる、東博が得意な手法。「江戸城本丸等障壁画下絵」狩野晴川院養信筆も出ているらしい、これは膨大な数が残されているが見たことはないので楽しみ。しかし建築史家・鈴木博之らが中心となった江戸城研究の本をちゃんと読んでおくんだったな。今から間に合うかな。
国宝室には「秋萩帖」伝小野道風筆が展示されているとある。これも料紙が印象的なものなのであわせてみておきたい。そういえば、特集陳列「東洋の名品−唐物」で梁楷の掛軸三点が一挙に出るが、これは去年に続き二年連続。評判よかったんだろうか。
そして、東京藝術大学美術館で岡倉天心展。美術に少しでも踏み入るとこの人物をはずすわけにはいかない。コレクションの「絵因果経」はまだみていない。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2007/tenshin/tenshin_ja.htm
国立近代ではかのムンク展。だいたいの作品は海外で見ているが、まだみていないのももちろんある。しかし見たことのある作品でも、それでもなお・・・のどが渇いたら、飲みたくなるように何度見ても思うことが違っている。今回は眼科医マックス・リンデに関連する作品も出ている。眼科医というと、すぐ思い出されるのはムンクの眼病とそれに関する「ムンクの眼からみた風景」のスケッチ。小学の6年ぐらいからずっと今までムンクを見続けているが、とりわけ「生命のダンス」が好きで、なんだか音が遅れてやってくる(衛星放送みたいな)ような、実際の場とそこに生じている音の場があきらかにずれているような感触がしている。
プハー氏も上野をまわるんだそうだ。「そうだ、大倉集古館にも行きたいね」と言ったら、横でポップコーンを食べていたすぬうが「ホテルオークラに連れてってくれる? あそこのハンバーガー、すごいんだぜ!」って。
君は食べ物のことしか頭にないのかね?

丁亥の年 神無月 十日 丁丑の日
酉の刻 四つ

他愛もないが
2007-10-8(Lundi)
以下のサイトはフランスで出ている雑誌がリストアップされている。まあ、ほんとは雑誌を注文するサイトのようで、論文集・学会雑誌とかコアなものは除いて、ふつうに書店に並んでいるような雑誌。
http://www.actualite-en-ligne.com/abonnement/
メジャーなものや、アメリカものとか、"Console+"とか人気のあるゲーム雑誌とかいろいろ。日本でいえば、「ファミ通」みたいな感じでゲームレビューとか攻略とかを幕の内弁当みたいにまとめている雑誌。これは友達の弟がすごいゲーム好きで読んでいたものだ。しかし・・・僕が知らない雑誌も結構あって、とくにWakouとか子供雑誌は全く読んだことがない。どういうものなんだろうね?ファミ通といえば、最近知ったのだが、ちょっと前にこんなイベントがあったとのこと。
http://www.famitsu.com/game/news/1211012_1124.html
ゲームクリエイターの岩谷徹さんと高橋慶太さんのトークなのだが、「物事の真理を意識しながら観察することで、ひとつの対象を違った角度から見られるようになり、仮説、つまりアイデアがつぎつぎと沸いてくるようになるのだという。」というあたりはなんか連想しかける。高橋さんは前にパペットを講演に使ったらしい、おもしろいね。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050313/gdc_kd.htm

丁亥の年 神無月 八日 乙亥の日
子の刻 一つ

Le Mondeの広告で
2007-10-7(Dimanche)
チャットツールを立ちあげると、オンラインしているフランスの友達たちが話しかけてくることがあるので、何か他のことをしているときはツールを止めるとかして敬遠している。彼らにはちょっとすまないかな。向こうではもうだいぶ前から日本のコミックがかなりの人気をほこるのでその話とか(でもフランスで大人気のNarutoは読んでいないので質問に答えられないのだが)、今年は聾者が出演したあの映画「バベル」の話題が結構多い。ところで、ちょっと前のLe Mondeを読んでいたら、こんな広告が一面ぶちぬきで出ていた。




これはエルジェの有名なバンド・デシネ(コミック)タンタンのあとに出てきた"Blake et Mortimer"というシリーズ。たしか1950年代ころに出て、原作者が亡くなってからも「ドラえもん」のように刊行されている人気シリーズで、これをルモンドがクリスマス近くまで一週間に一冊刊行するらしい。タンタンに似たメリハリのきいた色使いとディテールを行き過ぎずほどよく丁寧に描いた表現が好きだ。詳しくはここに。
http://www.lemonde.fr/kiosque/blake/index.html
でも説明文によれば、日本まで配達は無理だが・・・。

丁亥の年 神無月 七日 甲戌の日
子の刻 一つ

「愛してる?」「・・・愛していない」
2007-10-6(Samedi)
こんな会話がきこえてきそうな絵がちょうど出光美術館で展示されている。エドヴァルド・ムンクの"Head by head"「寄りかかる顔」という絵。

Edvard Munch "Head by head"


これからセックスをするところかその後なのか、肩まで裸の上半身をみせている男女がいて、女は安らいでいるような表情で男の頬に口を寄せているのだが、男は目のまわりが窪んで茶、青、緑になっていて、唇を大きくへの字に曲げている。この苦悶は、男性なら誰しも思い当たることがあるだろうと思うが、なにか恐怖にかられたのか。解説によればムンク本人の性にたいする悩みの一表現であるという。実際にそういう表情をしたのではなく、あくまで心を表情に転置したようには感じられる。
出光は夏休みの間、改修してリニューアルするとのことでワンルーム作られてムンクとルオーが展示されているのだが、前のようにロビーに展示する方がよかったかな。陶片室はきれいになっていたが。
出光の反対側は銀座になっているのでついでに寄っていく。三越でGIOTTOのシュークリームが復活していたのでひさしぶりに買ってく。ギャラリー小柳であっている増田佳江の展覧会は最近江戸時代の画ばかり見ている自分にとっては、ちょっとスパークした刺激。

丁亥の年 神無月 六日 癸酉の日
未の刻 三つ

新聞あれこれ
2007-10-4(Jeudi)
東京大学でUTCPというのがスタートしたらしい。読んでみれば、
http://utcp.jp
リシャール・ピナスが来日するらしい。六本木でライブをするともあるけど、これは知らなかった。
http://utcp.jp/from/events/2007/09/gilles_deleuze_and_the_music/
通訳がいないのでフランス語がわかる人が参加するのだろう。僕はあいにくフランス語がわからないからね・・・。
ところで僕が実際に目をとおすフランスの新聞はル・モンドとレキップの二紙だけだが、あんまりよくない習慣。ほんとはもっと目をとおさなきゃいけないところ。国内ではあれこれ頼むわけにもいかないので、図書館で読んでいる。他、障害者関係の新聞もあるが、あれは郵送してもらうのがベター。なにしろ置いているところが限られる。こないだは聾学校が「特別支援学校」と呼称が変わることを反対する記事があったように思う。
その他はネットで読めるのならそうするが、依然として紙媒体への愛着が強い。全体がみえたり、見出しをめくるだけだったりできるのは紙しかない。ネットでみるとしても、道草を食いやすいのであれこれウロウロしないようにしているんだけど、僕の友達のお父さん(農業政治的な研究をしている)は何十紙もとっているらしい。友達が言うには、国内紙は配達で、海外ではネットで有料契約して読んだりしているとのこと。新聞のために午前まるごとを費やして、午後から研究に励むんだそうだ。おかげさまで古紙回収では必ずトイレットペーパーをたくさんもらえるそうだが。
フランスの大手新聞フィガロではpdfで読めるとこがあったりとかいろいろコンテンツを読めるようにはなっている。有料もあれば無料もあって、パリにいたときに無料のフリーペーパーがあった。R25みたいなもので最近は結構のびているらしく有料紙は苦戦しているのだとか。有料のはキオスクっていうかタバコ屋で買うのがほとんどだと思う、日本みたいに配達はしてくれないから。
さっき、紙媒体がいいって書いたけど建築家の磯崎新さんは全部プリントアウトして読むんだそう。モニターはみないとのことだった。あと、イチロー選手も目が悪くなるということでモニターは見ないとウィキにある。
目が悪くなる・・・つまり、近視になることだが昭和初期の医学雑誌によれば国民の視力をどう向上させるかということをまじめに論じていて、とくに姿勢、読む場所を規範化していることが読み取れる。

丁亥の年 神無月 四日 辛未の日
亥の刻 一つ

明治のエネルギー
2007-10-2(Mardi)
こんな質問があったらしい。
http://netplus.nikkei.co.jp/nikkei/shimbun/shi070906_3.html
日経「私の履歴書」に登場した文楽関係者は誰かということだが、答えは以下だという。

(1)吉田難波掾(よしだ・なにわのじょう)氏
1958年9月19日−10月8日
「私の履歴書」第7集
「私の履歴書」文化人10

(2)桐竹紋十郎(きりたけ・もんじゅうろう)氏
1967年2月8日−3月6日
「私の履歴書」第30集
「私の履歴書」文化人11

(3)吉田玉男(よしだ・たまお)氏
1991年9月1日−30日
「文楽 吉田玉男」演劇出版社

(4)竹本住大夫(たけもと・すみたゆう)氏
1999年4月1日−30日

だけれど、本当はもう一人いて、それが豊竹山城少掾(とよたけ・やましろのしょうじょう)で1959年(昭和34)2月3日から23日まで掲載されている。ぼくはまだまだ若輩者だけれど、山城少掾の語りはすごいという話を何かで知っていた。きっと面白いのだろうな思っていたが、この連載で話している内容は面白いというより、厳しい。浄瑠璃のみならず私生活でも大変なことがあって、妻が四人、子供が八人いたけれど、皆さん先に亡くなっている。
そして大夫の語りは行儀よく、大げさな身振りをしないと書いてあるけど、当然ながらぼくは見たことがない。
あいにく僕は無理だが、ここで声がきけるらしい。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/exp2/w/103.html
名庭絃阿弥、二世豊沢団平などまわりの人々の思い出もいくつか取り上げられていて、初めて知る話が多いが、棹に指のあとが残るエピソードなど。
最近、明治・大正時代の資料にふれることが少なくないが、この連載のように戦後すぐの昔話を読んでいると明治がいかにエネルギッシュな時代だったかひしひしと感じる。今の時代は負けていないか。

丁亥の年 神無月 二日 己巳の日
酉の刻 三つ

『武蔵野図屏風』の表装
2007-10-1(Lundi)
去年の今頃は体調をかなり悪くして、入院していた。そのため10月まるまるつぶしてしまっていたので、何かひさしぶりの10月といった感。とはいえ、いろいろ予定もあり、あっというまに過ぎるのだろう。
相変わらず図書館と運動の日々を過ごしているが、日経、簑助師匠の「私の履歴書」の連載が終わったけれど最後に四世竹本越路大夫が「大夫の修業は一生では足りなかった。「二生」欲しかったなぁ。」と言ったことが引用されていたけど、一生を文楽につきつめた人でもそう感じるのか。

さて今月は東博で大徳川展、京博で狩野永徳展、大和文華館でも京博と呼吸を合わせるように江戸の狩野派展がある。楽しみにしているところ。そういえば、こないだ六本木の泉屋博古館分館に行ってきたが、そのことをかいたメモをなくしてしまった。
http://www.sen-oku.or.jp/
家に持って帰ったのは確かなので、どこかに紛れ込んだんだと思うけど。
花鳥画の源流となった、沈南蘋の掛軸『雪中遊兎図』があったけれど、これがじつにでかい。兎がクネクネと人間がからまっているような木を見上げたりしている図なのだけど、ぼくも見上げなけれなばらないほどの大きさで、なんかね皮肉のようにも見える。泉屋博古館からちょっと歩けば賑やかな六本木ではなくて、少しさびれた感じの、六本木をめざしているベンチャー企業が集まっているようなビル群に出る。

それはそうと、サントリー美術館で限定公開されていた『武蔵野図屏風』だが、表装がすごくいいと書いたが、その話を少し。

『武蔵野図屏風(右隻)』17世紀



この右隻はすでに酸化してしまった月に薄、萩、菊、桔梗。花札では桔梗以外はすべて札になっているほどだから、身近な花なのだろう。そして空をみると金箔に草は少し暗さを加えたミントグリーン・・・正確にいうと、緑青がみえる。それで表装、つまり屏風のまわりにある額は残念ながら写真では省かれてしまっている。
それは金に緑青の市松模様みたいなものになっている。表装は布になっているようで、金糸を緑青の布に縫っているようにみえた(間違っていたら教えてください)、裁縫は何か葉を象っているようだけれどよくわからなかったけど、きれいに市松模様のように金と緑青が交互に配置されている。金箔に視線を流して、視覚が表装に届くと金箔が細やかに分解されたようで、表装の金糸となって、密度が少し弱くなっていく。その浮きが外にある空気・・・見えないものと調和していて、屏風の後味がゆっくりとぼくの目の前のみえないところに広がっている。そして、視線を下に落として、草を見て行くと・・・表装の緑青が浮き上がり、金が控えめに、後ろに下がって行くようにみえる。もしくは、緑青という色が分解されて、それがほのかに、色や匂いをのせながら、足元に草がかすかにのびているような感覚になる。そして何よりも大切だと思ったのは、この屏風が持っている、シャーとした空間的な広がりを殺していない、それどころか効果を増している。これはもう、表装の人がきちんと画のことを理解しているからできるのではないか、と思った。一体誰なんだろう。とても、腕のたつ職人だと思う。

丁亥の年 神無月 二日 己巳の日
子の刻 三つ

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