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2007-09 journals

ペリエ・ロケットの原点
2007-9-29(Samedi)
フランスの新聞、Le Mondeの今日分を開いたら、一面にミャンマーでの日本人ジャーナリスト射殺事件が大きく写真で扱われていた。こちらの写真では苦悶の表情が伺える・・・。

プハー氏とすぬうに会う。横浜駅にタリーズがあったのだが、なぜかつぶれてしまっていたので馬車道のタリーズでお茶する。すぬうは今日は少し寒いからアイス食べる気がしないねといいつつ、アイスを食っていた。
プハー氏の炭酸研究の話をうかがう。そのなかにペリエ・ロケットの仕組みについて話したのだが、その原点は鳥山明『Dr.スランプ』とのことだった。なんでもコカコーラを使って飛行物体を作れることに気付いて以来、ペリエのあの強烈な炭酸力を利用して噴射装置を作り出せないかと思いついたらしい。なるほど。噴射しきったらあとは墜落するだけなのでグライダー的なデザインも必要だと感じたらしい。『Dr.スランプ』ではいろんな発明品が出てくるが「なんでも透けてみえる眼鏡」。キャラクターも名古屋弁と大阪弁を話す宇宙人(?)、『ドラゴンボール』のサイヤ人の原型のような存在がいたけど、よく覚えているあたり。

(鳥山明『Dr.スランプ』文庫版 集英社文庫 1巻 p196より引用)



丁亥の年 長月 二十九日 丙寅の日
申の刻 二つ

画はあるが、画家はいない
2007-9-27(Jeudi)
今日、『SITEZERO/ZEROSITE』No.1「〈病〉の思想/思想の〈病〉」が手元に届いた。少しずつ読み始めたが、第一印象としては匂いがすごいね、インクの匂いが。最近の雑誌は紙がつややかな感じでインクなんか感じさせないけど、これは結構・・・。もちろん凸版ではないが。それでさっそく「印刷・製本」はどこだろうと最後のページをみたけど書いてない。ただ、発行と制作はメディア・デザイン研究所とあるから、そこがしているってこと?発行と印刷は名前では別会社になっていることが多いとおもうけど、ここは同じようにみえる。もしかして、経費を浮かすために・・・笑。ひやかしはさておき、チラッとみた感じ、岡崎さんがマキシミリアン皇帝について語っているパートがおもしろい。藤本壮介さんがトークをしているあたりは、建築雑誌で語っていることとブレていない印象でいいなと思った。はやめに読んでおきたいと思う。
インクで思い出したけど、墨はインクじゃないけど、なぜか連想したので。
「筆で書くということは音がしない」と谷崎潤一郎が書いていてハッとしたことがあるんだ。また榑沼範久『視覚論』でノーマン・ブライソンが墨の跳ねと身振りについて論じていることを知っている人は、ちょっと前まで、東京国立博物館であっていた「禅」の展覧会に出品されていた伝周文の水墨画をみることはいい刺激になったにちがいない。
室町時代、京都の相国寺にいた周文というお坊さんは画家でもあり、将軍家の御用を務めたほどの名声があった。なのに生没年不明、その他もほとんどよくわかっていない人物。答えを言っちゃうと、実体がみえない画家。
関係者というと雪舟がいる。同じ寺にいたという。その雪舟研究といえば蓮實重彦の父である、蓮實重康をまず想起しておきたいが、蓮實先生の旧蔵美術史資料に周文の写真資料があるし、周文についても論じているところにも見逃してはいけないところで実際、雪舟の師匠と布置されており、雪舟に水墨画の奥義を伝授したとする。そのあと、ぽつぽつと周文に関する論考はいくつか出ている感じ。
ぼくの直感だけれど、周文はもっともっと注目されていい画家なのではないか。周文が書いた画にはいずれの作品にも「伝」と頭についているように断定されているものがない。言い伝えで成立している作品ばかりで、つまり周文<本体>には近づけない。
前の日記で「山水図屏風(大和文華館 重要文化財)は濃墨の使い方からして岳翁蔵丘の作品である可能性もあるのではないかというようなことが書いてあったが、この指摘はおもしろいとおもう。」と書いた。インク・・・じゃない墨の飛び散りという偶発的なものに任せようとしたような感じと、フランシス・ベーコンが絵具をカンバスに投げつけたというところはおもしろいのではないかと思う。間違っているかもしれないが、ベーコンは「絵具を投げることは誰にでもできるかもしれない」みたいなことを言っていたかも。この屏風はあらゆる方向から光をあてている感じ。岩の構成をみると多くの視点からみられているような、いろんな方向から光があてられている。逆にみれば、描いた人の姿が見えない。具体的にいうと、どこから描いたのかとか、身振りとかが見えない。
左にある画像は伝周文の「竹斎読書図」。ここでは「山水図屏風」と違って、滲みをきかせて、空気のもや・・・描きえないものを描いて、ぼんやりした山、くっきりと浮かび上がってくる岩と松のシーンが演出されている。でもそれより面白いとおもったのは序。それによれば、この掛軸の依頼者のことをいろいろ書いているのに、画家に一言すらも触れていない。触れないこと、それはルールになっていた。

丁亥の年 長月 二十七日 甲子の日
子の刻 一つ

見えない写真
2007-9-25(Mardi)
IAUが発表したらしいけど、土星の新発見衛星に名前がついたというニュースをみる。ハッブルとか望遠鏡の発達で21世紀になってからいろいろ出てくる感じ。
ぼくが結構好きなサイトだけど、
http://www.nao.ac.jp/new-info/satellite.html
にくわしい。そういえばちょっと前に視覚と望遠鏡の関係について面白いまとめをしていそうな本をみつけたけど、まだ目をとおしてない。シリーズものなのだが、国内には置いている図書館がないのでどうしたものやら。

そうそう、こないだ、横浜美術館での『森村泰昌−美の教室、静聴せよ』についてがっかりしたということを書いた。
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/02_morimura/index.html
要するに、教室という先生=森村、生徒=訪問者という関係であるにもかかわらず、先生の言うことがまったくわからない仕組みになっていたということだった。そのことをアンケートにあれこれ「何言っているのかわからないです」とか書いたら、美術館からメールがきて、「音声ガイドの書き起こしを作りました」という連絡がきた。
それを送っていただけるとのことで、今日それが届いた。
こういうのはやっぱり音声ガイドがあったほうがよいね。生憎もらったときはすでに展覧会が終了していたので臨場感は味わえず残念なところではあるが・・・。

国立国会図書館の新聞資料室にて。
ある戦前の新聞を申請したら、それが珍しいらしく扱い方がわからないらしい。マイクロフィルムなのだが、資料室にあるマイクロリーダーにセットできない大きさ。それで古い機械がある部屋に連れてってもらってセットしたのだが、それでも見られない。フィルムをのぞくと新聞そのものを写真撮影しているのはわかるのだが、白黒反転しちゃっている。ケースもいつも用意している封筒みたいなやつじゃなくて、箱になっている。いろいろあるんだねえ。結局うまく見られず。何回も国立国会図書館に行っているけど、職員もうまく扱えない資料に遭遇したのははじめてである。

丁亥の年 長月 二十六日 癸亥の日
子の刻 四つ(日付すでに変わっちゃいましたが)

本をみてまわる
2007-9-24(Lundi)
スタコラと道を走る。
紀伊國屋に行ったら、香西豊子さんの本がでていたのを知る。

流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史
流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史


うーん、これは知らなかったな。なにかの雑誌で見たが、香西さんがやっている献体の研究はおもしろいと思っていた。その関連で、白菊会という団体を知ったのだが、その関連で(財)日本篤志献体協会というのがある。その質疑応答のところに「病気や障害、また、手術をした場合にも献体はできるか」という質問がある。
http://www.kentai.or.jp/what/02toroku.html
答えは「解剖学実習は、解剖学の教授または助教授の指導のもとに行われますので生前の病気や手術のあとなどがあっても、「正常」なものと比較することによって、良い学習ができることもあります。」とのことだが「「正常」なものと比較することによって」という部分に軽く嗤う。もし、ぼくの身体が献体に出すことになったならば、耳から脳に至る部分を徹底的に調べられるのだろう。

パース著作集の米盛裕二さんによる『アブダクション―仮説と発見の論理』も出ていた。アブダクションとアナールの関連性についてアラン・コルバンに質問したことがあったけど、パースのことを知らなかったらしく、わからないと言われたことがあった。講義後に説明したけど、いい機会なので目をとおしておこう。
タルドの翻訳本も出ていた。うちの大学図書館にも80年前の風早八十二訳が出ているのだけど全訳ではなく、今回全訳が出ることになる。目をとおしておかないと・・・でもまあ、原著は電子テクストで読める。

模倣の法則
模倣の法則


そのほか、研究関係。

フーコーの後で―統治性・セキュリティ・闘争
フーコーの後で―統治性・セキュリティ・闘争


同志社大学の図書館で資料をあさっていたときに見かけたもの。

Allemagne, Henry-Rene´ d' - Les Accessoires du costume et du mobilier depuis le treizie`me jusqu'au milieu du dix-neuvie`me sie`cle.
[Athena P.]. 2007 : 5. 3 vol. (1000 p.) : ill. (Athena library of French studies ; 1).
Reprod. de l'e´d. de P., 1928. Avec un vol. d'introduction par Yoshiko Tokui.
FTBN N379-112 ISBN 9784902708547
rel. JPY 99,750

Libron, Fernand, Clouzot, Henri - Le Corset dans l'art et les moeurs du XIIIe au XXe sie`cle. [Athena P.]. 2007 : 5. 200 p.-76 pl. : ill.
(Athena library of French studies ; 2).
Reprod. de l'e´d. de P., 1933. Avec un vol. d'introduction par Kei Sasai.
FTBN N379-116 ISBN 9784902708554
rel. JPY 42,000

最近復刻されたようだ。Yoshiko Tokuiは服飾の歴史をされている、お茶の水の徳井淑子先生のことだけれど、その関係で検索してもうまく同じ本が出てこない。A3縦に近いサイズで結構大きい。

『幽霊屋敷 - ポルダーガイストの歴史 -』というのがもう出ていたらしい。
La maison hantee : Histoire des poltergeists
http://www.amazon.fr/dp/2849520462/
イントロも出ていた。
http://www.maison-hantee.com/files/lecouteux/poltergeists/extrait_ap_intro.htm
著者のクロード・ルクトゥー(Claude Lecouteux)は魔女だとかドラキュラ、オカルティズム・・・幻想といったフィールドにいる先生。あまり詳しく知らないけど。
ところで、やっぱりアクサンおかしくなるね。どうしたものやら。

渋谷西武の「パン デ ラ サヴール」という店、ショコラとかいうチョコレートをパイにしたみたいな感じのものがけっこうおいしかった。検索してみたが、どうもここだけっぽい。ポンパドゥルと同じ会社らしいけど。むしゃむしゃ・・・むしゃむしゃと食っていれば思い出すのは、サントリー美術館であっている展示会で『武蔵野図屏風』をみたが、画もだけど表装におおいにびっくりした。詳しくはまた書けたらと思うけど。

丁亥の年 長月 二十四日 辛酉の日
酉の刻 四つ

もう逢えないよ
2007-9-23(Dimanche)
東京国立博物館で九月の頭まで展示されていた、『和歌体十種』(平安時代・11世紀)についてだが、この巻物の表装の仕方がおもしろかったんだよね。本仕立だと思うけれど、巻物についている紐みたいなもの(「緒」という)の横に本文が書いてあるのだが、その間に30センチぐらい紙の部分があって、表紙裏というけれどそれがすごくよかった。金箔にバーントアンバーに光る四面があって。
さっとみた感じだと、鉱物の断面図みたいな。カットしてみたら、こんなきれいなんだというような印象に近い。この部分はなぜか写真集になったときに削除される部分なのだが、これがじつに美しく、宇宙に引き込まれるよう。

鳥がほとんど実物大に近く、その場で凝固されているかのような雪舟の『花鳥図』は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で鳥を捕る人のパートを思い出す。ああ、実物大みたいな感じは、実際にみないとわからないけれど、実際に・・・街中で鳩や烏をみている身としては、自分の身体が「鳥がいる」と反応するような屏風。

深江芦舟『蔦の細道図』もみる。




「つたかへでは茂り、もの心ぼそく・・・」の伊勢物語第9段から取っている画なので、それについてふれておかなければならない。その段はもともと在原業平が東下りをする有名な段で、宇津の山にはいったところ、顔見知りの修行者に会って、どなたかに出す手紙を託したあと、

駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

と詠む。この歌の意味は、駿河にある宇津の山のあたりまできてしまって、実際にも夢のなかでもあなたに逢えないのです、と。そのあと下総に行く・・・というストーリー。次に屏風をみてみようか。なにか山がまるくデフォルメされている感じで木はそんなにうっそうとしていない。二人の男が背中をみせている。中心に目をやれば、修行者の笈(ランドセルみたいなもの)がかろうじてみえるだけで今にも消えようとしているのを業平風の男がみている構図。そのあたり、つまり3、4扇がおもしろい。もう論文で指摘されていることだろうけれども。
おもしろいと思った理由は、これは屏風だからなのだけれど、屏風は折らなければ立つことが出来ない。フラットな面では立たない。で、折るとこの3と4扇は谷折りになる。つまり視覚的に、奥にいっちゃうんだね。するとどうだろう。修行者が遠くにいくようにみえないかい。そして男の視線は折れ目を横切って・・・修行者を隠すような山の稜線に届いている。その先にあるのは、たぶん、業平がおもいをはせる、「あの人」なのだろう。
そして、もう一人の男の頭部はほぼ真後ろを向いているように見えるが、屏風を折れば、後ろを向いているのではなくて斜めになると思うのは、見すぎだろうか。

丁亥の年 長月 二十三日 庚申の日
巳の刻 四つ

土偶とデスマスク
2007-9-22(Samedi)
『SITEZERO/ZEROSITE』No.1「〈病〉の思想/思想の〈病〉」が出たらしい。レビュー書いている人いるかなと思って検索をかけたら(気早すぎ!)、こんなのをみつける。
http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20060727
日付からしてこれはもちろんNo.0のことだろうが、要するに「やれやれ・・・」ってこの方は思ったらしい。個人的に、田中先生のお仕事は注目させていただいているし、教わることもとても多いのだが、こういうふうに思っている人もいるのか。そういえば『SITEZERO/ZEROSITE』の評判を全然知らないことに気付いたが(小澤京子さんのパートが楽しかった)、あの誤字脱字が多かった『表象』も内容的にはどう評価されていたのか、僕は全く知らない。知るべきところも方法もわからない。表象文化論学会に親しい友達がいないから?
ほんとのところ、雑誌を買った皆さんはどう思ったのかな。

以前の日記であの雑誌に誤字脱字が多すぎてがっかりしたということを書いたら、それはどこの部分ですかと問い合わせがきたのだけど、それがきっかけで「江波先生」ってどなたですか?「白川院」とは?など出版社にメールをしたところ、誤字脱字一覧をまとめましたと学会の中島隆博さんから返事がかえってきた。その結果が
http://repre.org/publication/journal/index.html
らしい。一番下に誤植一覧がある。出版に誤植はつきものだが、最近こんなに誤字脱字が多いことはなかったので驚いたことがあった。原因は知らないけど、別に僕があれこれ言うことじゃないだろう。
ただ、江上波夫先生を「江波先生」と誤植してしまったのは、なんていうか・・・痛い! しかも第二版でも修正されていない箇所らしい。この雑誌の読者層を考えるからに第一版のときに「江波先生って?」と皆さんが思わなかったはずはない。
なんだか『SITEZERO/ZEROSITE』『表象』のマイナス面を書いてしまったかも知れないが、だんだんエンジンがかかってくるだろう。ぼくもこの雑誌に何ができるか、やらないといけないんじゃないか。でも僕は会員じゃないし、表象文化論らしいものを勉強したことはないからやる資格あんのかな?
あと、気になっていることを一番下あたりに書いておく。悲しいことだと思っていることだが。

いつものの横浜市内である古書展に。ここは結構安く、ギデンズとか買う。
そのあと、プハー氏とすぬうと待ち合わせして、三人でひさしぶりに桜木町に行く。
プハー氏は外を出歩く時、諸般の事情で以下のように仮面をしていて、


警察官によく呼び止められるらしい。クイーンの塔(横浜税関)の前をバスで通るのだけど、その日にかぎってちょっと野暮用があったので歩く。そうしたら税関資料展示室の前になにか変なのがいるのに気付く。近寄ってみれば、何か犬らしいものだった。



しょうもない写真をはりつけるが、日記で写真をはるのはすごくひさしぶりなせいか試してみたくなる。
Cのマークを胸にして、名前をきいたら「カスタムといいます。」とかえってきた。さらに見てみれば、「許しません白い粉、通しません黒い武器」という襷をしている。白い粉の意味がわからなかったのでプハー氏と話す。
「白い粉ってなんですかねえ?」とたずねたら
「ほら、小麦粉じゃないですか。」彼という。
「小麦粉が許せないんですか?」
「考えてみろよ、小麦粉の自給率を。」
「10パーセントしかないですよね。」
「だから、彼は怒っているんだ。もっと我が国は小麦粉を作らないといけない。フランスを見習うべきだよ。フランスは200パーセント近くあったのでは?」と小麦粉の話になる。すぬうが途中で「こいつ、オヤジみたいでかわいくないよ!」とカスタムを指差すが関係ない。カスタム君は「違いますよ、小麦粉じゃないです!」と必死に叫んでいたようだがプハー氏の小麦粉話が止まらない。

「はるゆたかっていう小麦粉がいいんだ・・」など相変わらず小麦粉話をするプハー氏と別れて、美術史家・木下長宏の話をききにいく。フランス映画の梅本洋一先生がかわいがっているらしい女の人もみえていて、ひさしぶりに軽く挨拶する。

今回は1996年に粥見井尻遺跡で発見された15000年前と推定される最古の土偶の話をされていた。




おもしろいのは、たとえば手、足、乳房・・・が欠けた状態で出土されることが多いとのこと。土偶のパーツがなぜ欠けているかは解明されておらず、そりゃあ文字がない時代の話なので想像するしかないが造ったものを傷つけたり壊したりすることは、何か僕たちが生きていくために必要なことのような気がするね、非常に曖昧すぎるけれども・・・木下先生は

是に天つ神諸の命以ちて伊邪那岐命 伊邪那美命 二柱の神に、是のただよへる国を修め理り固め成と詔り、 天の沼矛を賜ひて、言依さし賜いき(古事記)

エホバ神土の塵以て人を造り、生気を其の鼻に吹き入れたまへリ、人即ち生霊となりぬ(創世記2−7)

という文章を引用していた。たしかに土偶をみていると、そう思い起こさせてくれるのがおもしろいが、蛇足をつけくわえるならば「デスマスク」ではあるまいか。というのは、木下先生がみせてくれた土偶の写真集をみていて思ったが、縄文中期、後期の土偶たちは鼻のディテールがしっかりしていて、しかも穴もちゃんと空いているのがなにより大切なことのように思ったのだが(土偶の内部は「空洞」)、デスマスク・・・人が亡くなったときに造るその仮面は「息をする穴」がなく、つまりその人が死んでいることを証明するものでもある。だからある意味、デスマスクは死んでいない。デスマスクをつくる行為そのものは土偶と入れ替わるように紀元前から行なわれていたし、それを集めた写真集みたいなのも存在する。それに関する美術史的なテクストももちろんいろいろあるが、土偶を手に、デスマスクをもう一方の手にとったテクストは書かれたのだろうか?
それにしても縄文時代ははるかなスケール。だって紀元前15000年から900年だからねえ!また、木下先生は「縄文」「弥生」という言葉そのものについても疑義を示していたことも付け加えておこう。
この日記の最初に表象文化論学会が出している雑誌のことをかいたけど、今年7月に東大表象文化で研究発表をした時にディスカッションをしたのだが、そのあと、あるオーディエンスからメールがきて「XXさん(ぼく)と、東大表象の方々のやりとりを聞いていると、木下先生がやろうとしている仕事が今の学問状況では受け入れられないという現場をみているような気持ちでした。・・・以下略」という内容だったのだが、それがとても、気になっている。

帰宅後、研究室のパソコンを後輩に貸しに行く。待ち合わせ場所に早く着きすぎたので夜の公園をのぞいたら、サラリーマン風のおじさんがブランコで煙草をのんでいた。横の鉄棒で遊ぶ。ぐるんぐるん。

丁亥の年 長月 二十二日 己未の日
亥の刻 三つ

あちらこちら旅して
2007-9-21(Vendredi)
今月、日経の連載「私の履歴書」に登場しているのは吉田簑助さん。文楽の人形遣い。簑助は1998年に脳出血で倒れて以来、失語症を持っている。このことは以前の日記でもふれたことだが。「私の履歴書」の題字も本人がしていて、ふるえているような筆運びが舞台では一切感じられず、シャープな動きを見せている。とはいえ、前の簑助さんがよかったということをネットでみかけることもある、あいにく僕は倒れる前の簑助さんを生で見たことがない世代なのでわからないが。不自由と自由が両存している。というか両存するべきものなのだろう。

古い新聞を調べていて目にとまったグリコの広告だが
http://www.glico.co.jp/kinenkan/goal/goal1.htm
時代によって表情が変わっていくということ。

広告図像の伝説
広告図像の伝説



あいまをぬって、三井記念美術館の「旅」をみる。ここにいくときはバスを利用するのだが、日本橋を走る時が楽しいんだよね。八月の暑いときにも行っていて、前期と後期を通しでみたけど、一番残ったのは作者不明の「厳島・鞍馬図屏風」六曲一双だろうか。個人蔵。カタログには17世紀。
名前のとおり、厳島と鞍馬の図をかいている。前にも書いたかも知れないが、屏風の主題として遠く離れた土地、地形同士を組み合わせることがある。これだと厳島と鞍馬という、海運と陸運、弁財天(厳島)と毘沙門(鞍馬)の対比でつまり商業と宗教を同時に感じさせてくれるアレゴリー的な要素があるのではないかということがカタログで指摘されていた。
そう書いてあるのをみれば「なるほど」と思うけど、ぼくがひかれたのは例えば建築、人、動物の表現にとても繊細さが潜んでいることで、また人のサイズが結構あるのでいろんなファッションや身振りが可能になっていることだろう。この屏風のサイズはそんなに大きくなく(横180センチ、高さ150センチぐらいか)、書かれている範囲もそれほど広汎ではないため、街並がじっくり覗ける感じでならず者たちがケンカしている風景、運搬途中、窓から顔を出す男(ボッシュ!)、様々な生活がみえてくるあたりと着物の着流し方が出ていて、それぞれの人の個性、人生が出ているようにも思う。建築で例えば、お堂の表現で垂木の着彩に甘さを感じるものの、線に迷いがない。
それと、住宅が並んでいる通りがあるのだが、ここでおそらく・・・・家の向きを意図的に変化させて角度を調節しているため、観察者の視覚には「自動的に」どこからこの風景をみているか、その地点が決定されているような印象がある。この空間のプロポーションの構成の具合を見ても、誰が書いたかわからない作品ではあるが、ただの絵師ではない。

室町時代の「富士曼荼羅図」もおもしろい作品だった。富士山登山をする前に知っておきたい作品でこちらは大きい画像がある。
http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/fujiyama/man.index.htm
ただ、こちらの画像はやや色が強すぎて、実物はもっとくすんだ色。うろうろと蟻のように列をなして富士山をのぼっていく人たち。杖は持っていたり持っていなかったり。

テーマが「旅」であるから、古地図の展示もあるわけで珍しいものが二つ出ていた。
「日本名所の絵」鍬形~斎筆
「東海道一覧絵図」葛飾北斎筆
どちらも鳥瞰図のように上から見下ろしたイメージで、もちろんいろんな鳥瞰図が存在するが、成層圏に近い、かなりの高度で描いているものはそうそうないだろう。

丁亥の年 長月 二十一日 戊午の日
巳の刻 二つ

夏祭のあと
2007-9-20(Jeudi)


キャンセルされた文楽をみにいく。「夏祭浪花鑑」は半通しだった。名前のとおり、半分を公演するということだけど、1、2、9段以外全てを公演していて、ポイントはおさえている感じ。団七が親である義平次を殺すまでいくプロセスをみせるわけで、大夫は綱大夫の団七、伊達大夫の義平次がかけあいをする。これがとてもおもしろい。
義平次が「無念なか、口惜しいか。ムハヽヽ泣くかいやい。アヽ可愛や可愛やな。ドレ、その頤(おとがい)をこの雪駄(せった)の皮でさすりいがめてやろうか。コリヤこの頬桁で俺を騙しやがつたか。コヽこの口で騙しやがつたかコウコウコウコウコウ、カー、プウ、これ喰へ」となって、団七が顔を傷つけられ、カッとなって脇差しをみせると「なんぢやいなんぢやい、なんぢやいなんぢやい。おのりや脇差をびこつかして。アヽコリヤ面白い。サツサアサア斬れ斬れ」とけしかけるのだが、そのあたりの語りが抜群に好みだな。団七が遂に斬り殺して、たまたま通りかけた御神輿と囃子にあわせて「てうさ、ようさ、てうさ、ようさ、てうさ、ようさ。」と一緒にはやすのをどのように見せるか楽しみにしていた。綱大夫は努めて明るく見せよう、盛り上げようという感じじゃなくて、盛り上げようとするけどその声を出している顔そのものに哀しさいっぱいにもりあげていていいなと思ったんだよね。耳がきこえないのに、声がしているのがとても不思議なんだ。
お2人の身振りもすごくおもしろく、確かに声と連動していることを強く感じさせてくれる。

ロビーには吉田玉男さんの遺品がいくつか展示されていた。暖簾には
「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば  仇しが原の道の霜 一足づつに消えて行く」
と書いてある。いうまでもないが、「曾根崎心中」の道行でいわれるあたり、リズム感がいい。
最後に写真は、吉田玉男さんが遣っていた人形の手と足。つまり、分解された身体の一部分で死体でもある。手の構造をじっくりみる。出たばかりの本「吉田玉男 文楽藝話」にも書いてあるが、若手のときに、左手と右手を逆に吊ってしまったという笑えない笑い話があったらしい。

丁亥の年 長月 二十日 丁巳の日
巳の刻 一つ

サイトが新しくなりました
2007-9-19(Mercredi)
テスト書き込み。
テスト、といえばポール・ヴァレリーのムッシュウ・テストという本なのだけども。

ムッシュー・テスト (岩波文庫)

それはさておき、自分のドメインをとって、サーバーもレンタルすれば現状より50パーセント以上の料金が節約できるということで、サイト引越を決意していた。
同時にここのjournals(もとはNews)のところを画像をつけて書き込んだ結果をRSSで吐き出すときにmixiとかでうまく反映されないことがあるためにいつか新しいのにしようと思っていたわけ。ちょうどいいのがあったので試験中だけどこれでやってみる。
movableとかいう有名なブログのフォーマットみたいなのがあって、それをインストールしてみて書き込みしてみたら、たくさんのデータ作りすぎ。ちょっと重いかなとも思うのでやめた。はてなダイアリーでも一回書き込んでみたが、インターフェースとかあまり好みではなかった。いじることできるんだろうけど、やり方がよくわからないのでやめる。どうもブログは向いてないらしい。ここでスクリプトいじっているほうがまだ好きなことができる。

1、映像もリンクできるかどうか。

これはフランスで有名なゲーム番組で放映された、シューティングゲームの歴史。そういえば、ぼくの大学でも「テレビゲームと建築」という論文を提出している人がいたけど読んだことない。

2、自動リンクは大丈夫どうかチェック。例えば、東京へリポートの天気。
http://weather.noaa.gov/weather/current/RJTI.html
tdiaryという日記風cgiスクリプトの天気表示プラグインのソースとして米国海洋大気庁のデータが使われていた。結構よさそう。

3、時間表示について、ちょっと前から書き終わった時間を表示していたけど、今日から干支で表記していきます。暦はちがうけれど、ひとつよろしく。

4、前のサイトで2004年から書いてきた日記がありますが、システムが変わったのでこれらをデータベースにすることができなかった。データとして保管してありますけど、これらの処遇はまだ考えていません。

5、前のサイトでは日記の検索ができました。ここでは今使っているスクリプトに検索機能がないので今はできないけど、namazuみたいなのを仕込んでみたら検索ができたので、まあ検索できるようにするでしょう。でも使う人は僕ぐらいじゃないかね。

6、一番下にある仮面の人間はかのブクブク・ペリエ・プハー氏。ただ、諸般の事情で素顔を公開することができない、とプハー氏から申し入れがありましてね。
将来的にはペリエ氏も使えるように、ペリエ氏をクリックしたらアクションができるようにする予定。

7、RSSは以下。
http://www.tmtkknst.com/journals/index.rdf

8、はてなアンテナへのリンクはここの一番下にあります。

丁亥の年 長月 十九日 丙辰の日
酉の刻 一つ

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