小松彰という人物がいます。近代日本においては、国立銀行の創立に関わったことで知られる人物ですが、近代史における知名度はさほど高くないかもしれません。わたしの研究に関係するところとしては、東京の楽善会訓盲院を設立した団体「楽善会」のメンバーです。小松については、史料がとぼしく、さらに墓碑も確認されていないことから多くが明らかではありませんでした。

ところが、小松について重要な史料が存在していることを知りました。それは小松の「日記」です。信濃毎日新聞(昭和50年3月25日)によれば、近代教育史の上沼八郎先生が小松の日記について紹介されています。わたしは上沼先生を存じ上げているので、さっそく連絡をとったところ、日記はご遺族にあたる小松公子先生(東京女子体育大学教員・ドイツ語)に返却したとのことで、現在の連絡先は分からないとのことでした。なにぶん、30年以上前のことです。
そこで、わたしは小松先生に尋ねようと東京女子体育大学にお願いしたのですが、転居されてしまったために現在のお住まいが分からないとのことでした。可能なかぎり、調査を行いましたが、史料の所在を明らかにすることができませんでした。

記事のなかで上沼先生が解説しているところによれば、小松は佐久間象山の高弟であり、佐久間が暗殺されたのをきっかけに日記が綴られはじめたといいます。記事には最初の日記の冒頭の写真が添えられていて、たしかに佐久間の暗殺に関する事項がびっしりと書き留められています。

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日記は全部で11冊あり、文部省辞任前後の1冊が欠けているとのことです。これは明治9年のことで、小松が楽善会に関わるのも同じ年なので、楽善会に関する事項もそのなかにある可能性が高いでしょう。それでもなお、この日記は楽善会において重要な示唆が含まれる可能性があります。

なにか情報をお持ちのかたはぜひともご教示いただけないでしょうか。わたしの連絡先はmailアットマークtmtkknst.comです。
どんな微細なものでも構いませんので、どうぞよろしくお願い致します。
なお、プライバシーには最大限留意いたします。

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