加藤康昭先生。
わたしが加藤先生を初めて知ったのは、国会図書館で調べていたときだった。それは加藤先生の博士論文「近世日本における盲人の生活と教育に関する社会史的研究」
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008597113-00
である。
これは『日本盲人社会史研究』(1974年)のもとになっている本だ。

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このタイトルを鵜呑みにしてはいけないと思う。ふつう、これは「ああ、盲人の歴史の本なんだね」と思われがちなのだけど、しかしめくってみるとそうではないことがわかる。日本における盲の歴史のみならず、障害の歴史を考えるにあたって絶対に外せない本である。わたしがかつて、岡本稲丸邸で先生に優れた既往文献を尋ねたとき、先生が真っ先に即答されたのがその本だったことを覚えている。その話題をしているときに岡本夫人が同書を持ってこられたのだけれど、それは函入りだった(図書館で見るのは函無しなので、函入りのは岡本邸で初めて見た)。
この本で素晴らしいとおもうのは史料の丹念な蒐集に加え、精緻な組み合わせによって盲人のことをあぶりだしていることにあるのだけど、それ以上に二次史料も含めて史料批判がしっかりしているところが中山太郎との違いだとおもう。

さて、わたしが持っている同書には「謹呈 唐澤富太郎先生 加藤康昭」と墨で書かれている。

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唐澤富太郎は加藤が在籍していた東京教育大学の教員で収集家でもあったらしく、唐澤博物館もある。『日本盲人社会史研究』のあとがきによれば「菲才・怠慢なわたくしにつねにあたたかいご指導と励ましをたまわった西谷三四郎先生・唐沢富太郎先生をはじめ・・・」とあるように加藤先生の指導教員のひとりだったことがわかる。だから加藤先生が唐澤先生に献本されたことはまったく不思議ではない。

ところで、この署名は本人が書いたのであろうか。というのも盲人だときいているからだ。そこで、あとがきを続けて読んでみたい。

「この研究に対しては、参考文献の朗読・録音などに多数の方々の惜しみないご協力をいただいている。とくに聖心女子学院みこころ会社会事業部テープサービス・東洋英和女学院短大リーディングサービスのボランティアの方々をはじめ・・・」(604頁)

とあり、加藤先生は盲人が利用するサービスを活用していることがわかる。
新聞記事もある。「全盲青年が社会科教諭に 福岡盲学校で授業へ 河野昇平さん」(朝日新聞(1993年4月1日 27面))によれば、加藤のコメントとして「私自身も全盲だが・・」とあるように、加藤先生ご本人が全盲だという。
では誰が署名したのか。そこで、あとがきを続けてよむとこんな箇所がある。

「なお史料の蒐集・整理・録音、そして点字原稿の墨字訳・浄書・校正は妻滋子の協力によるものである。」(605頁)

加藤先生の奥様もご研究を支えていたことがよくわかるところ。むろん、そのことだけでなく家のことやいろいろとお仕事もあったろうに。岡本先生は「加藤先生は奥さんと二人三脚で研究をしていた」と仰っていたけれど、まさにそうだと思う。わたしが閲覧した、加藤先生の博士論文はすべて四〇〇字詰め原稿用紙に手書きされていたものだったけれど(厚さがものすごくて広辞苑並だった)、あれは奥様が浄書したのではないだろうかと思うのだ。

だから、写真にある献本署名「謹呈 唐澤富太郎先生 加藤康昭」も奥様が書かれたものではないのだろうか。

奥様がどんな思いでこの仕事に関わったのか同書からは伺うことはできないのだけれど、並々ならぬ思いがあるのではないか。
お元気だと聞いているので、一度お会いしてお話を伺ってみたい。

2013年 4月 15日(月) 16時32分18秒
癸巳の年 卯月 十五日 辛亥の日
申の刻 四つ

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