
Honore' Victorin Daumier "L'innocense"
「異常なものとは、正常でないものではなくて、別の種類の正常なものなのである。」
ジョルジュ・カンギレム
『正常と病理』
ささやかな文章 ぼくは生まれつき、耳が全くきこえません。 科学医学的に「聴覚障害者」と分類されている人間です。 アプリオリ(先天的)にこの身体を持って以来、悩み続けてきました。幼少の砌、幼稚園でみんなが口を開けて何かを歌っているとき、ぼくは同じことが全くできなく、ひどく戸惑ったことがありました。どうしたら皆と同じように動けるのだろうと行動してみたものの、どうしても出来ないことに気づいたとき、君とぼくはちがう!君ともちがう!何かがちがう!と強く感じたのを昨日のようにおぼえています。病院で「聴覚障害」と診断されてから、まもなくぼくの身体に装着された、補聴器という名前の音を拡張させる機械は、ぼくの身体に耳がきこえると錯覚させました。それは、小学校から高校のときに親や友人と話すたびに生じるもどかしさの1つでした。このことは、ぼくを内面に向かわさせてくれるのに十分な理由でありつづけました。他の人とちがう、という感覚では矢追純一(1935-)が出していた宇宙人は、我々とは違う何かの存在であり、それを受け取ったとき、地球人より親しみがあったのをなつかしく思い出します。 そんなとき、ある事件が起きます。ぼくが小学校5年生のとき、叔父の引越しを手伝っていると書斎の棚に赤紫色の本がありました。あとでわかったことですが、福田恆存(1912-1995)訳のウィリアム・シェークスピア(1564-1616)全集でした。何気なく開いた瞬間、本から文字<エクリチュール>が飛び出し、身体で音声となったのです。現実にはきこえないはずなのに、戯曲に書かれた話し言葉が他者と他者の性格・身体・動作を構成し、他者同士が会話しているのがきこえました。もちろん、補聴器をとおして物理的にきこえたわけではないのです。幼い自分の頭に響く音は「ぼくって耳がきこえるの?」と激しく狼狽させる音でした。なぜなら、補聴器をとってしまえば沈黙に包まれますし、親、学校の先生、友人を含む周囲の人全員がまったく疑いもない表情で、「君は耳がきこえないよ」「○○くんは耳がきこえないんだ」と言っていたからです。つまり、耳がきこえている状態の自分を明確にイメージした経験がなかったことに気づいたのです。この事件が起きた瞬間、「この出来事をどうやって説明したらいいのか」わからないことに自分の能力不足を痛感し、自ら「きこえない」と発言することの言語的な疑義も感じました。西田幾多郎(1870-1945)とルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)が行った体験と言語に関する重要な仕事を知るのはもっともっと後になってからのことですが、ぼくは思わず、階下にいた叔父に「この本ちょうだい!」とねだったのを覚えています。だけれど、渡されたのはマルクス『資本論』でした。小学生にマルクスをプレゼントするなんて。不満に思っていたら、いつかわかるよと言われたような気がします。たしかに。 時代の風潮もあるのでしょうが、ぼくがこれまで出会った多くの人は「きこえない」人に対して「きこえない人」「聴覚障害者」「聾者」などという言い方をし、だけれど差別はよくないと言い、「音を感じにくいけれど、他に違いはないだろう」と考えていたようにみえます。でも、「きこえる」人と「きこえない」人は本当に聴覚という感覚のみ相違だけとは思えないのです。ここは、平等主義の弱点ではなかったでしょうか。 すでに多くの示唆を含んだ指標が存在しています。フリードリヒ・クラーゲス(1872-1956)、ゲオルグ・フォン・ベケシー(1899-1972)、ジョン・ケージ(1912-1992)、ウォルター・ジャクソン・オング(1912-2003 )、ジャック・デリダ(1930-2004)らの仕事は、人間が音を感知する機構を説明しました。その機構は、感覚や感性に<差異>が生じるのに十分なインパクトがあります。もちろん、文化人類学の仕事を見逃してはいけません。 そして、多くの人々が残しているものを振り返ってみれば ー たとえば、中世といわれる時代の画家、ファン・アイク(1389?-1441)の手、ファン・デル・ウェイデン(1400? - 1464)の身ぶり、ハンス・メムリンク(1430?-1494)の表情、土佐光信(-1544?、生没年不詳)の気配、ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の部屋、菱川師宣(?-1694)の群衆、人形浄瑠璃(17世紀末-)における声と身体の分割と構成、能・狂言(室町時代-)における背景を一気に塗り替える動作、そして、レ・ファニュ(1814-1873)の耳が聞こえるような感情移入を促すストーリー、ジョヴァンニ・パピーニ(1881- 1956)の不自由な小説、高村光太郎(1883- 1956)の詩にある擬音、カール・テオドア・ドライヤー(1889-1968)の映画がかきたてる想像力、梶井基次郎(1901- 1932)の『檸檬』での音、エリック・ドルフィー(1928-1963)のバスクラリネット、磯崎新(1931-)の建築が湛える雰囲気、山崎博(1946-)の写真、宮島達男(1957-)のLEDインスタレーション、ザ・ドリフターズ(1957ころ結成)のパフォーマンス・・・それらと戯れつつ格闘していると、きこえない身体のなかに、細やかな、なにかが鼓動しているような、きこえるものが蠢いているのを感じます。もっというなら、状況によって発生する眼球の動き、血液、心臓、臓器の鼓動が奏でる自己の微細なリズムの精神状態です。 22世紀に向かっている、世界という名前の船は、科学のこれまでにない高強度の波にのって時間の海を流れています。たとえば、「再生医科学」や「感覚器障害研究」などで障害を治療/修正する試みがはじまろうとしています。この現象に対し、倫理的な面から表現することとは別に、<障害者>と名前をつけられている、<感覚を削ぎ落とされている>人々たちによる世界の像<表象>がどのような姿をしているのかいまだに明らかでないことは、じつは大きな問題なのではないでしょうか。杉俊輔(1976-1996)と光石信幸(1944?-1991)が、社会と感覚のあいだにある大きな裂け目を示していたように。であれば、ユルギス・バルトルシャイティス(1903?-1988)が記述したアナモルフォーズのように、世界がひどく歪んで感じられるぼくの身体は<何>をもって世界がどう表象されているかを記述しなければならないでしょう。それのみならず、社会、規範によって障害者はどのように形成されているのかということにも注意/記述しなければならないでしょう。それらの問題は、自分が専門とする建築の問題としてどう表現するべきでしょうか。それはたとえば、感覚/感性/情動の視点で自己の身体像をクリアーに見極めたうえで、ダイアグラムのなかで再構成していくかという作業ではないでしょうか。ぼくはそこにすべてを集中させるべき義務があるように思います。 これは「きこえない人」「聾者」全体だけではなく、人間全体が負うべき大きな課題ではないでしょうか。 |