「ヴァンサンへの手紙」(原題:J’avancerai vers toi avec les yeux d’un sourd, 2015)はスウィートで、深刻なポエトリーだ。とても編集が凝っているのでこの文章で取り上げる登場人物を紹介しておこう。

ヴァンサン:聾者。監督・レティシアの友人
ステファヌ:聾者。手話教師、ヴァンサンの友人。
レベント:聾者。俳優。
パトリック:聾者。パリからミラノまで歩く。
サンドリーヌ:聾者。手話はほとんど使わず、口で話す。
エマニュエル:聾者。ビデオ局で聾者の現状を述べる。
(映画にはさらに聾者が登場する)

ポエトリーだと思えるのは、この映画の監督であるレティシア・カートンがヴァンサンの友人であり、ヴァンサンへの思いを語るところから始まっているからだろう。ヴァンサンと出会った彼女は一緒に映画を撮ろうと意気投合している。その最中、ヴァンサンは亡くなった。レティシアが開けた箱にはその素材となる8mmのビデオテープがきっちりと並んでいる。既に見かけなくなりつつあるこのメディアは、ヴァンサンとの思い出がすでに古いものになりつつあることをよく示しているものだ。レティシアによるヴァンサンの回想がはじまること自体が、ヴァンサンを巡るダイアローグを予告している。

この映画について語るときに、重要な参照点になるのは、ニコラ・フィリベール「音のない世界で」(1992)だ。聾学校における口話教育と手話教育のあいだで揺れている聾者たちが描かれているところが共通している。ニコラもレティシアも何人かの聾者の様子をドキュメンタリーのように追いかけているところも共通する。だが、ニコラは登場せず、レティシアは登場するところが決定的な違いとしてある。レティシアはヴァンサンへの回想のほか、聾者と会話するシーンがあるが、このような彼女のふれあう手のさきに聾者がいるところは、マイノリティーとしての聾者たちというステレオタイプが崩壊している瞬間であると同時に、外の世界と接触している瞬間で大変美しい。

このふたつの映画のあいだには1992年と2015年という23年の時間の経過がある。歴史とは、2つの対象を並べたときの間に生じる時空であるが、その23年の時空には何が生じているか、その一面を確かめることができるだろう。たとえば、この23年のあいだに聾学校の様相としては手話が広く受け入れられているようにはみえる。「ヴァンサンへの手紙」には、トゥールーズ近郊のラモンヴィルにある聾学校が出てくる。ラモンヴィルは手話教育を重視する数少ない学校で、国語教育でこんな言葉を手話で教えているシーンがあった。フランス手話を読み取ると以下のような文章である。

Le roi est-il un rat? Non. 王様はネズミ?いいえ。
Le roi est-il une rose? Non. 王様は薔薇?いいえ。
Le roi est-il d’or? Oui. 王様は黄金?はい。
La couronne royale est faite d’or. 王冠は黄金でできている。

Rを中心にした単語と物語を身につけるのが目的かと思われるが、「音のない世界」でヘッドフォンを装着させて発音を教えるオーディオロジーのやり方とは対照的だ。「音のない世界で」はジャン・クロード・プーラン(Jean Claude Poulain)という髭のある初老の男性が中心人物である。プーランはろう学校に通学経験があって、作中でバイリンガル教育を成功させたいと言っていた(プーランは2017年に78歳で亡くなった)。子どもたちが王様の物語を語るシーンは、プーランが望んだ世界であるはずだ。(ちなみに、ラモンヴィルの子供たちが紹介されるときにファースト・ネームが一瞬、その身体に貼り付けられるように登場しているが、今後のかれらの成長を回顧するときに有効だろう、つまりホームムービーの機能もある)。だからといって、ラモンヴィルの子供たちの笑顔に口話教育への批判が示されていると捉えるのは違うだろう。サンドリーヌという、口話教育で生きてきた彼女がレティシアの友人として登場してくることによって。サンドリーヌもまた、ステファヌの手話教室に通うことで新たな人生を探索していたが、その姿にわたしは心を打たれた。補聴器を使った口話教育と手話教育はけっして断絶されるものではなくて、その先の可能性があるのだろうか。

1992年の「音のない世界」は若い聾者の結婚式があり、家を借りるところで不動産業者との口話によるコミュニケーションがうまくいかず、四苦八苦しながらも前に歩もうとする姿がたしかにあった。これはどこか、甘美なかおりがするシーンだ。2015年には人工内耳による新たな口話教育の可能性も追究されていて、彼らはそのあいだを揺れ動いている。フランスに聾者が16000人いて、手話による授業を全て受けられる聾者は100人だけだという証言によって、2本の映画のあいだに生じる時空は聾者をめぐる深刻なものが相変わらず存在していることが証されている。

その深刻さのなかでそれぞれの場で抗う聾者たちがいる。「ヴァンサンへの手紙」のパトリックがそうだが、彼はLGBTの聾者のためにパリからミラノまでを9日間の徒歩で踏破しようとしている。パリでスタートし、映画が終わる頃にミラノに到着し、イタリアの聾者たちから歓迎されているわけだ。ミラノといえば、1880年に口話教育の推進が決定された、聾者にとっての悪夢の街だ。
映画全体で見れば、そのあいまをショットとして、手話教師をしているステファヌ、レベントという世代の違う聾者が口話教育について思い出を語っている。口話が世代を超えて、聾者たちの人生における鉄鎖であってその鎖は、音声を正常に話せるという仮想の人間につながっていることが明晰に示されている。それに、レベントは「音のない世界で」でも最初のところに登場していて、2本の映画を繋ぐ存在として機能している。23年という時空は、レベントに白髪の混じる、初老の男性に変えている。しかし俳優として活動する彼の姿は変わらず、いやそればかりかエッフェル塔をバックにポエトリーとしての手話をみせる彼はより輝きを増しているではないか。そういう不変性を見られることは「ヴァンサンへの手紙」においても、聾者の生としても重要だ。

この映画でもっとも強調しなければならないのは、ビデオ局に呼ばれたエマニュエル・ラボリがミラノに向かって歩くパトリックたちを紹介し、聾者たちの現状を語るところではないか。1990年代から活動してきたエマニュエルのメッセージは歴史を回顧しながら強い残響を響かせる。字幕のとおりではないが、こんな言葉があった。

「医療による、子供の早期診断は聞こえない子を治療するためにある」「政治における均等法は法律だけで実態を伴っていない。」
「聾者の両親は、子供のために手話を選択したのに、学校を卒業したあとの生活が成り立たない」

エマニュエルは、政治家・医療関係者と聾者と、その両親たちを対立的に語ることで苛立ちを表明している。その激しい手話をみた、インタビュアーの女性があっけにとられた顔をしているが、その顔は彼女個人の反応ではなくフランス社会そのものの反応である。なぜなら、エマニュエル・ラボリというのはフランスの聾者の「顔」ともいえるモデルであって、その社会的地位と知名度のある彼女が注目を浴びた1993年からの歴史を一挙に断罪しているからだ。

この断罪があるなら、これからどうあるべきなのか。もういないヴァンサン、彼が見ようとした世界がどんなものかは明示されない。パトリックがミラノに到着した時の聾者たちの歓喜は確かにスウィートだが、その先に何があるのか。ステファヌの元を相談に訪れた、耳の聞こえない子供を連れてきた家族たちで父が「この子は、医師から人工内耳をすすめられているが、良くないと思っている」という本来あるべきではない医師への疑義を示し、家族としての迷いがあらわれていたではないか。そういうスウィートで深刻なポエトリーの最後は、レベントを含めた聾者たちと歌手とのパフォーマンスの途中で終わっていた。

途中で中断されたような余韻は、聾者と聴者たちの壮大な物語がプロローグにすぎないことを漂わせている。

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