日本人は西洋の指文字とどのように出会ったのか?

神宮文庫にて

日本手話学会『手話学研究』(26巻, 2017年)において、論文を書きました。以下よりPDFとしてダウンロードすることができます。

木下知威「指文字の浸透 - 蘭学・洋学における西洋指文字の受容」『手話学研究』(26巻, 2017年)

ここに掲載した著作物の利用に関する注意
本著作物の著作権は日本手話学会に帰属します。
ご利用に当たっては「著作権法」に従うことをお願い致します。

日本人は西洋の指文字とどのように出会ったのでしょうか?その指文字と出会ったときに日本人たちはどんな反応を示したのでしょうか? この疑問に答えることで、異なる文化に対する身振りを考えようと試みた論文です。
19世紀において、西洋の指文字(アルファベットによる片手・両手式の指文字)が日本で受容された過程にフォーカスをあてています。近世後期において江戸幕府はオランダとの交易において、海外の文化・社会に関する情報を吸収する目的でオランダ雑誌(Nederlandsch Magazijn)を定期的に輸入していました。この雑誌には、聾教育のための西洋指文字図が含まれており、これを「発見」した国内の蘭学者たちは「珍奇」という非教育的反応をします。明治維新前後になると英学に対する関心の高まりによってウェブスター辞書が大量輸入されるようになりますが、この辞書には指文字の図が掲載されていました。この図について、洋学者・田中芳男が言及し、開明派の出版関係者(加藤雷洲、橋爪貫一)が複製していることを明らかにし、日本人のあいだに西洋の指文字が「伝播」していることを証しました。最終的には、アメリカ留学経験のある文部省官僚・伊沢修二の講演を分析し、日本人が西洋の指文字が聾教育の文脈で理解していることを明らかにしました。ここから、日本における西洋指文字の受容は、発見、伝播、理解のプロセスがあると結論づけています。

なお、大変恐縮ですが、修正したいところがあります。
正誤表はこちらになります。

53頁18段目
誤:アメリカと和親条約の締結した
正:アメリカと和親条約を締結した

57頁
図3と図4の指文字表を入れ替えてください。

76頁14-15段目
誤:開成所は、蕃書調所は1862(文久2)年に洋書調所となり、1863(文久3)年に開成所となっている。
正:開成所は、

(「蕃書調所は1862(文久2)年に洋書調所となり、1863(文久3)年に開成所となっている。」を削除してください。)

78頁12段目
誤:摸(サダ)
正:摸(サグ)

78頁17段目
誤:橋爪自身は海外渡航の経験を持たずありながら、
正:橋爪自身は海外渡航の経験を持たずにありながら、

No comments yet.

コメントを残す

Leave your opinion here. Please be nice. Your Email address will be kept private.